ネットとリアルのバランスを棚卸しする

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■ネットとリアルのバランスを棚卸しする

インターネットが普及し始めたころは、ネットは社会の一部に過ぎませんでした。ネットはあくまでも社会を補完する存在であり、社会に存在し得ないものはネットの中にも存在しませんでした。

ところがいまやネットは、その中だけで完結できる新しい社会をつくりつつあります。かつての社会は「リアル」と呼ばれて、ネット社会と区別されるようになりました。私たちはいまやリアルとネットというパラレルな2つの社会を、行ったり来たりしながら生活している状況です。

2つの社会が並行すると、自分のやりたいことをリアルで実現する必然性が薄くなっていきます。リアルだとリスクがともなうようなことは、ネットでやればいいと考える人たちもいるかもしれません。ネットで競争して、ネットで批判して、ネットでアピールして、ネットで友だちをつくる。それで満足感を得られます。

もちろんネット社会だからといって万能の神になることはできません。しかし、一定の匿名性があり、いつでもリセットが可能な状況が、私たちの背中を押してくれます。ネットでは、リアル以上に積極的になれます。そうやって経験値を積み上げていくにつれ、ますますネット社会の居心地が良くなってくるのです。

ただ、ネットへの依存は危険をはらんでいます。私たちが生きているのはリアルな世界です。ネットは《リアルを充実させる》ためにあるのであって、《ネットを充実させる》ためにリアルがあるのではありません。ネット社会に軸足を置いてしまうと、リアルで生きるスキルがどんどん低下していきます。

ネットとリアル。具体的には、リアルで困らないように足を下ろしたうえで、ネットを存分に活用する。そのバランスが肝心です。

■海陸両様の生き方を目指す

米国の心理学者、アブラハム・マズローは人間の基本的欲求には5つの段階があると主張しました。理論を体系化した図は、みなさんもご存知でしょう。

私たちの基本的欲求のうち、もっとも低次なのは第1段階の「生理的欲求」です。これは、ぐっすり寝たい、おなかいっぱい食べたいなど、いわば生命維持のために必要な欲求を指します。

生理的欲求が満たされるにつれて、人間の欲求はより高次なものに移ります。第2段階は「安全・安心の欲求」です。それが満たされると第3段階の「社会的親和の欲求」、第4段階の「自尊の欲求」、最終的には第5段階の「自己実現の欲求」と移行していきます。

マズローの欲求の5段階は、すべてリアルで満たすことが可能です。一方、ネットで満たせるのは第3段階の「社会的親和の欲求」より上の欲求であり、生理的欲求や安全・安心の欲求といった身体的・本能的な欲求は満たせません。換言すると、ネットは人間の高次の欲求を満たすのに適したシステムといえます。

こうした特質を踏まえて、下層の欲求はリアルで満たし、上層の欲求はネットで満たすことが最適なバランスだと考える人もいます。リアルで承認されなくても、ネットで自分を確立できれば十分だというわけです。

しかし、そうした生き方には危うさを感じます。上層の欲求をネットで満たすようになると、逆にそれらをリアルで満たす機会が減っていきます。

リアルのコミュニケーションが減少して、職場での会話がなくなり、家族や友人との会話も減ります。さらにリアルな熱意も、リアルな勇気も、リアルな努力もいらなくなる。いつのまにかリアルで必要なスキルが衰え、ネット社会への依存をますます強めていくのです。

ネット空間は、いっけん自由に見えるかもしれません。しかし物理的にいえば他人のつくったシステム上で、許された範囲の活動をすることしかできません。ある意味では不自由な社会であり、そこにしか居場所がないのは、自分を脆弱な立場に追い込むようなものです。

いま求められているのは、リアルでもネットでも動き回れる海陸両様のバランスです。片方だけに依存して、「井の中の蛙、大海を知らず」では成長に限界が訪れます。自分が硬直的では、目の前に広がる多様な世界に対応できません。自分の能力を磨くためには、どちらかで生きるのではなく、どちらでも生きることが大切です。

※『ビジネススキル・イノベーション』第6章 個人の能力を最大化する(プレジデント社刊)より

(横田尚哉)