奥様はコマガール (59) 嫁という表現に見る男女間の認識の違い

写真拡大

チーと結婚して2回目の盆が過ぎたわけだが、僕はいまだにチーのことを人前で称するとき、「妻」という言葉を口にできないでいる。

この「妻」という表現は連載第25回目でも書いたように、本来自分が理想としていたはずの呼称である。

それにもかかわらず、実際に口にすると、無性に恥ずかしくなってしまう。

文章だと平気で書けるのにね。

僕なりに自己分析してみたところ、この恥ずかしさの正体はいわゆるナルシシズムに対する抵抗感だと思う。

つまり、男性が自分の配偶者を人前で呼ぶときは、昨今巷で流行している「嫁」という表現より、「妻」という表現のほうが適切かつスマートで、どことなく品もあると僕自身が強く自覚しているからこそ、そういう独りよがりの強い自覚を人前で晒そうとする行為が、ある種の自己陶酔の顕示に思えてしまうということだ。

例えるなら中学生ぐらいの頃、初めて髪形をセットして登校したときに感じた気恥ずかしさに似ている。

山田の奴、かっこつけやがって――。

あの頃は友達にそんな風に思われないかと妙にドキドキしたものだが、「妻」という言葉にもあれと似たような感覚がある。

今風の言葉を使うと、いわゆるドヤ顔をしながら「僕の妻が〜」と口走っているのではないかと、顔が熱くなってしまうのだ。

そう考えると、「嫁」という表現は確かに便利だと思う。

嫁という字は「女は家」と書くぐらいだからか、自分の配偶者を下に位置付けている印象となり、人前では非常に使いやすい。

これは「家内」もしかりであり、だから最近の僕はチーのことを「家内」と呼ぶことが多くなった。

「妻」に比べると気位が低く感じられ、なんと言いやすいことか。

ところが、この「嫁」や「家内」という表現は一部の若奥様方には不評なようだ。

ある若奥様は「上から目線な感じがする」と言い、別の若奥様は「嫁とか家内とかには、女は家にいるものだっていう古い価値観が見え隠れしていて、抵抗がある」と憤慨する。

なるほど、それはそれで正当な心理かもしれないが、僕はここにこそ男性と女性の認識の違いがあると思う。

世の男性は、いや少なくとも僕は、自分の配偶者を見下しているから「嫁」や「家内」といった言葉のほうが使いやすいのではなく、単純に人前における謙遜の一種であり、言わば自虐ネタなのだ。

この言葉を使うことで、妻だけでなく自分も(つまり夫婦全体を)相手より下に位置付けようと、へりくだっているわけだ。

これは日本人特有の恥の精神とも関係している。

今となってはすっかり古くなった表現だが、かつての日本人男性は自分自身のことを「小生」「拙者」などと謙遜して称することが当たり前で、その名残は現代社会にもしばしば見受けられる。

僕自身もそうだ。

公の場では自分の著書のことを「拙著」と表現することが、なかば当然の作法になっている。

考えるに、男性という生き物はそもそもそういう精神性の持ち主なのではないか。

例えば男友達で酒を飲んでいるとき、自分の恋人や妻のことをノロケたり、自分の会社を絶賛したり、そういった自己礼賛が肴になることはほとんどない。

たまにそういうことを平気でのたまう男がいても、嫌われたり、馬鹿にされたりするのがオチである(マジで)。

その反面、男は「うちの会社なんか最低だぜー」などと自虐に近いボヤキを笑いながら放出することは日常茶飯事だ。

これは男性誌にも見られる傾向で、男性誌の特集の多くは自己礼賛ではなく、「サラリーマンなんかやってらんねー! 目指せ、脱サラ! 」といった現状卑下を前提とした打開策ばかりだ。

男性社会とはそういった現状卑下のもと、「お互い大変ですなー」と肩を叩き合う仕組みになっているのだ。