逆境に耐える女は強い!「なでしこジャパン」の不遇すぎる歴史

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ロンドンオリンピックを沸かせた「なでしこジャパン」。決勝戦、宿命のライバルであるアメリカに惜敗してしまいました。それでも銀メダルという成績は、サッカーの日本代表女子チームが結成されてから31年間で初の快挙。
女子サッカーの不遇の歴史を知ると、この快挙がいかにスゴイかが分かります。

女子サッカーの不遇すぎる歴史

1989年、日本女子サッカーリーグ(Lリーグ)はスタートしました。日本の好景気、男子のJリーグ開幕なども手伝い、世界中からさまざまな選手が集まって「世界のLリーグ」と持てはやされていました。

しかし、日本経済の衰退によって不景気になると、Lリーグの状況も一変。企業はリストラの一環として、女子サッカーのクラブ廃部を決定し次々と撤退していきました。また、外国人選手との契約を禁止にしたことにより、世界トップレベルの選手とプレイできる環境が奪われ、選手のレベル低下にも繋がってしまったのです。

こうした負の連鎖は続き、日本女子代表は2000年のシドニーオリンピックの出場を逃しました。すると、宣伝効果のない女子サッカーからスポンサーは撤退。この年、Lリーグに所属している9チームのなかで、企業がバックアップしているのは2チームだけになってしまったのです。

当然、選手たちの待遇も悪化。グランド使用料を安く済ませるために、Lリーグは無料試合となりました。指導者もボランティアとなり、遠征費の一部も選手の自己負担となったのです。

2000年以降、次のアテネオリンピックに向けての日本女子代表チームの待遇はここまで酷くなっていました。

●代表候補合宿の部屋は、風呂のない4人部屋
●食堂は一般人と同じ所を使用
●日当なし(1997年時、日当3000円)
●メイングランドの使用は不可
●物品は必要最小限の支給のみ

昼間に働きながら、夜に練習をする選手たち

女子サッカーチームはスポンサーが離れたことで、従来のプロからセミプロクラブ、実業団チーム、市民クラブチームなどに形態を変えていきます。ほとんどの選手は働きながらサッカーを続けることになりました。昼間は仕事をし、夜に練習をするという過酷な生活です。2011年ワールドカップの最年長ゴールキーパー山郷のぞみ選手も、当時の環境について「プレーする場をいつ奪われても仕方がないという危機感を持っていた」と語っています。

そんな逆境に耐えながらも、選手たちはサッカーへの情熱だけで必死に練習を続けました。

この努力の甲斐あってか、2003年女子ワールドカップで再びLリーグに注目が集まります。2004年からは「なでしこ」という愛称も加わり、人気回復につながりました。

そして、2004年のアテネオリンピックでベスト8、2008年の北京オリンピックでベスト4、2011年のドイツワールドカップで優勝してみせます。ここから一気に「なでしこジャパン」への注目度が変わりました。

「なでしこジャパン」の強さは、不遇の時代にも諦めなかった彼女たちが作り上げたものなのです。

「なでしこジャパン」はさらに強くなる!

「悔しいと言えば悔しい。金メダルが欲しかったが、チーム全員でやり切った結果。後悔なくやり切ったし、走り切った」
今回のロンドンオリンピックのアメリカ戦直後、今までなでしこジャパンを牽引してきた澤穂希選手のインタビューです。

史上初の「ワールドカップ&オリンピック両制覇」の夢は断たれましたが、それは次代を担うなでしこジャパンの選手たちが成し遂げてくれると願っています。


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Written by Wicca
Photo by bm.iphone