JFEホールディングス相談役
數土文夫
1941年、富山県生まれ。富山県立富山中部高校から、64年北海道大学工学部卒業後、川崎製鉄に入社。2001年川崎製鉄社長に就任。05年JFEホールディングス社長に就任。10年より現職。

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新渡戸稲造の『武士道』と出合ったのは、北海道大学の学生時代である。新渡戸は札幌農学校(北大の前身)出身だから、ほとんどの学生が彼の業績を知っていた。私も当時、『武士道』は「すごい本だ」と伝え聞いていたものの、そのころ北大の図書館には断片的な文献しかなかったので、細切れに読んだにすぎない。

全編を通して読んだのは、社会人になってからのことだった。特に、奈良本辰也氏の訳本を手にしてからは、何度も読み返すようになった。私が、川崎製鉄の常務を務めていたころである。

1997年に出版された奈良本辰也訳の『武士道』は現代語訳なので、すでにあった矢内原忠雄訳(38年刊)のそれより、読みやすいということもあった。しかし、この本に改めて惹かれたのは、経営者、管理者として学ぶところが多かったからだ。

私が企業人として『武士道』に学んだことは、大きく2つある。一つは「アカウンタビリティー(説明責任)とは何か」であり、もう一つは「義を行う」ことの重要さである。

新渡戸は、37歳の若さで『武士道』を全文英語で著した。しかも、その内容は、ギリシャ、ローマ、中世ヨーロッパ、中国、日本などの歴史や文学、宗教、哲学などを巧みに引用して書かれている。それは驚嘆すべき知識量で、どれほどの書物を読破したのかとうならせるほど。

だが、新渡戸には、それだけの引用を施す必要があったのだろう。『武士道』がアメリカで刊行されたのは1900(明治33)年。欧米人から見れば、当時の日本は東洋の新興国であり、日本人は正体のよくわからない民族だったろう。逆に新渡戸の側からすれば、歴史も文化も価値観も異なる西洋人に対し、日本人の精神性、すなわち心や生き方の話をしようというのだ。とうてい一筋縄ではいかない。

だから新渡戸は、ソクラテスやプラトンをはじめ、西洋人に馴染みのある古今の著作や思想・哲学に東洋のそれを加え、相手に理解しやすい「説明」に努めた。ここが重要だ。

私が常務時代に読んで思ったのは、企業あるいは企業人の考えるアカウンタビリティーが、新渡戸が試みたような丁寧なものになっているかどうかである。「説明」は、相手に理解されなければ意味がない。しかし、企業のアカウンタビリティーは、とかく「説明の体をなしていればよい」というところに陥りがちである。それではいけない。

また、私は経営者であるとともに製鉄業にかかわる技術者だが、経営や技術に精通しているだけでは説明責任は果たせないとも思った。相手に理解を促すためには、歴史や文学、芸術など、専門分野にとどまらない幅広い知識、教養が必要となる。新渡戸の『武士道』で、私はまずそのことを痛感した。

武士道の真髄は「ノーブレス・オブリージュ」にあると新渡戸は述べている。

「ノーブレス・オブリージュ」とは、武士階級の「身分に伴う義務」である。そして、武士道の徳目の中心に「義」を据え、義を行うための徳目として、勇、忍耐、仁、誠、名誉などについて説いている。

義とは「正義」のことだが、私が特に注目したのは、このうちの義と勇の相関関係である。勇は義、すなわち正義を行う勇気のことだ。この2つを新渡戸は「双生児の兄弟」であると述べている。

武士は自らを公的な存在と任じ、義に背く行為、つまり私利私欲に走ったり、嘘をつくことを恥とした。また、『武士道』には「実践躬行(じっせんきゅうこう」「知行合一(ちこうごういつ)」という言葉が出てくるが、要は口先だけの正義はダメ。正義を自ら実践することが「身分に伴う義務」を負う者の務めとしている。

「ノーブレス・オブリージュ」は、企業人にもあると思う。私は、戦前の天皇機関説になぞらえて「社長機関説」を唱えている。組織のためにトップがいるのであって、トップのために組織があるのではない。つまり、社長は組織を動かすための機関にすぎないという考え方だ。

私の社長就任中に、川崎製鉄とNKKとの経営統合があった。私は統合に向けた交渉の際、一貫してダメなものはダメと厳しく言い、正論を通した。それは私人としてではなく、公人、機関として経営統合のあり方を考えたがゆえだったが、思えば『武士道』の影響を多分に受けていたからかもしれない。『武士道』には、18世紀プロシアのフリードリッヒ大王の「朕は国家の最大の召使である」という言葉や、江戸時代の米沢藩主、上杉鷹山の「国家人民の立てたる君(藩主)にして、君のために立てたる国家人民には之無候」という言葉が出てくる。

正論は、言うは易いが、行うは難しい。だから人は正論を嫌い、避けようとする。けれども、私はあえて正論を掲げ、それに自分の行動を合わせるようにしてきた。「実践躬行」「知行合一」を志すことで、自分を高められると信じているからだ。

その意味で『武士道』には、リーダーとはいかにあるべきかを示唆するものが多く、これまで私の心と行動を支えてくれたと思う。

もう一冊、奈良本訳の『武士道』と併せて、ぜひ読んでほしい書に李登輝氏の『「武士道」解題』がある。私は、JFEスチールの社長に就任した2003年にこの本を読んだ。

台湾総統を務めた李氏は、日本の大学に学び、アメリカに留学した経歴を持つが、彼も新渡戸稲造と『武士道』に強い影響を受けている。

本書で李氏は、自身の生い立ちや為政者としての経験などを織り込みながら『武士道』を丁寧に解説している。彼も非常に博識であるが、台湾総統として、中国、アメリカをはじめ、諸外国と渡り合ってきた人物だけに、エピソードも豊富で現実的。併読することで、より深く『武士道』を読み解くことができる。

特に李氏は、現代の日本で武士道があまり顧みられないことを嘆き、国際化の著しい今こそ武士道の精神が大切だと述べている。私も同感だ。

日本企業が世界で活躍する現代でも、海外の人から見て日本人はわかりにくいところがあるらしい。それは、自分の意見をはっきり言わないからだと思う。そのために不信や誤解を招くことも多い。

自らの経験として、国際的な交渉では自分の意見や立場を堂々と表明し、相手との違いを明らかにすることから始まる。互いの妥協点を探るにしても、最初の立ち位置があいまいなままでは、交渉はうまくいくわけがない。

また、相手が理不尽なことをしたときには、臆せず毅然とした態度をとることも必要だ。私の川鉄副社長時代、フランスのユジノール(現アルセロール・ミタル)社と、提携話を進めていて裏切られたことがある。同社は川鉄としか提携しないと言っていたのだが、実は裏で他社とも交渉していたことが発覚したのだ。

私は即座に提携話を打ち切り、弁明のために来日した同社の副社長との面談を断った。それが「義」に反する卑劣な行為だと思ったからだ。信用が重視される国際社会、毅然としていなければ渡っていけない。

正義を貫くこと、裏表なく嘘をつかないこと、一言の重み。武士道でいう「誠」「名誉」「恥」の精神は、李氏も言うように、現代においてこそ再認識されなければならない。

新渡戸稲造の『武士道』は、傑出した日本人論であるだけでなく、「人間、いかにして生きるべきか」を教えてくれる名著だと考えている。だから、奈良本辰也訳の『武士道』と李登輝著『「武士道」解題』、この2冊はセットで手元に置き、今も折に触れ読み返している。

※すべて雑誌掲載当時

(高橋盛男=構成 市来朋久=撮影)