過去にならないものを生み出す。そういうところで勝負をかけたい

仕事とは? Vol.78

漫画家 楳図かずお

“恐怖漫画界の巨匠”楳図氏が伝授する「社会で認められるために大切なこと」


■「芸術」と「生活」、「専門性」と「一般」。正反対の要素を意識する

「芸術」と「生活」、「専門性」と「一般」。正反対の要素を意識する

僕の漫画を読んでトラウマになったとよく言われます。好き嫌いを超えて多くの方に読んでいただいているということですから、うれしいですね。そもそも恐怖漫画を描こうと思ったのは、18歳でプロになった時、みんなに読んでもらうにはインパクトがあって、ほかの人がやっていないものを描かなくてはならないと考えて。当時は怪物や幽霊が出てくるような漫画はあっても、心理を描く恐怖漫画はまだなかったので、「あ、ここだ! このジャンルにしよう」と思ったんです。直感的でしたが、どこで一歩を踏み出すかを考えたのはよかったです。陸で生きるか海で生きるかとか、肉食か草食かが原始時代の生物の存亡の分かれ目になったりするでしょう。なんだか、それに近いところがあったと思います。

僕の作品には長編も多いのですが、最後まで投げ出さずに読んでもらえているのは、単純にお話を作る方法論みたいなところも影響していると思います。例えば、漫画界では「ヒキ」と呼んでいるのですが、ひとつの話の最後に疑問とか、不安とか次号への興味を湧き立たせるような要素を必ず入れておくんです。プロになったばかりのころは特に、このヒキをどうするのかが大きな問題でした。

もちろん、興味をひくだけではダメなんですよ。核になる哲学というか、何らかの新しく思いついた意見とか、そういうものが入っていないと、読み終えた時に何も残らない。ただ、核だけを出しても面白みがないですよね。核になる部分が大事だからこそ、それとは正反対の面白く描くということ、世の中の人たちに認めてもらうということをおろそかにしてはいけないと思うんです。

よく「芸術ひと筋」と言いますよね。聞こえはいいけど、その芸術が社会生活とつながっていなければどうでしょうか。どんなに素晴らしい芸術も人に見向きもされないんじゃさみしい。漫画は芸術だと僕は思っていますが、自分だけで完結していて誰かに見てもらえないとなったら、張り合いがなくて絶対にやっていなかったです。

「芸術」と「生活」もそうですけど、物事はすべて「正反対」の要素がないと機能しない気がします。恐怖漫画もただ気持ち悪くて汚いとなると、興味をひいたとたんに「シッ!シッ!」と追い払われてしまうという最悪の事態に…。じゃあ、恐怖とは何か。気持ち悪くて怖いのに、なぜ人は恐怖にひかれるのか。恐怖といえばグロテスクなものを想像されがちなんですけど、その裏側には目を向けずにはいられない綺麗(きれい)なものがある。「気持ち悪い」とは正反対の「綺麗」も描かれていないと、のめりこんで読んでもらえるような作品にはならないんです。

これはビジネスの世界でも同じかもしれません。専門性の高い理論を編み出したら、今度はそれを製品やサービスにしたり、売ったり、誰でもわかる形にしていく過程が必要だし、一時的な消費に終わらない仕事をするには、利潤を追求する一方で「これはこうあるべきだ」という美意識のようなものがないといけない。ひとつの要素だけにとらわれそうになったときは、その正反対を意識してみるといいんじゃないかなあと思います。


■心の中のわだかまりやうじうじは、ためこんでおいた方がいい

僕の作品には恐怖漫画もコメディーもありますが、そこで何を描いてきたかというと、人間の深い本質のようなもの。面白く読んでもらえるものを目指しつつも、人間の持っている心理の奥深い本質をそこから取り出せたらと思って描いてきました。ただ、そういう目的みたいなものって、デビュー当時からはっきりしていたというわけではないんですよ。

僕は小学生の時からプロの漫画家になると決めていたし、目的意識がはっきりしていたように見えるかもしれないけれど、逆に言えば、漫画を描く以外にできることが思いつかなかったんです。「僕にはこれしかないのね」と思っていたから、学生時代に一緒に漫画を描いていた仲間たちが会社員や公務員になったり、出版社から「君の作品は芸術的すぎて売れない」と言われても焦りみたいなものはなかった。ほかに選択肢がないからひたすら努力をしているうちに、「もしかしたらこれが目的かも?」というものが後から勝手に出てきた感じなんです。

だから、大学を出て就職をする人が「何をやりたいのかわからない」なんて言いますけど、そんなのは当たり前だと思うんですよね。大学を卒業したら一人前とか、何かになれるという考えそのものが違う気がする。それぞれが自分の状況の中で許されたことを一生懸命やって、理想の生き方はありつつも、「現実にはこれがやりたかったのかな」というのを見つけていくのが普通なんじゃないかなあ。

逆に、第1志望の会社に入っただけで満足したり、好きな仕事ではないから生活の糧と割り切って適当にやろうなんて思ったら、気持ちはスッキリするかもしれないけど、スカスカの仕事しかできないかもしれないですね。「何かが物足りないなあ」というどこか完結しない気持ちとか、「この仕事の本当の目的って何だろう」というような心の中のわだかまりやうじうじはためこんでおいた方がいい。コレだというチャンスがきた時の起爆剤になりますから。

それから、物事がうまくいかない時期は準備期間だと思うといいかもしれないです。僕は27歳で上京してきて仕事が忙しくなり、週刊3本、月刊3本の連載を抱えてギリギリの生活を送っていた時期がありましたが、アイデアに困ったことはありませんでした。それは上京前に肩こりから不眠症になって思うように描けない時期があって、その時にアイデアをストックしていたからなんです。準備をしておくというのはすごく大事なことなんですよ。

腱鞘炎が悪化して『14歳』の連載終了(1995年)から漫画を描くのは休んでいますが、さみしさはなかったです。『14歳』は描いているうちに自然と僕の集大成のような内容になって、まっとうしたような感じ。ただ、まだ物足りない部分というのはあって、「今後はそれを埋め合わせするような、これまでとは違うことがあるかもなあ」という期待感がありました。それが、音楽活動など漫画以外の世界につながったのだと思います。

でも、やっぱり、自分が描いてきた漫画をいろいろな世代の人に読んでもらえているというのが一番うれしいですね。僕の作品って「子どものころは怖くてイヤだったけど、大人になって読んでみたら違う印象だった」と言ってくれる方も多いんです。少女漫画や少年漫画は主人公を読んでくれる子どもと同じ年代に合わせているから、読者は主人公に感情移入してただ怖いと感じるけれど、心理的成長が進んでくると「それだけなのかな」と深く考えるようになる。すると、怖い登場人物にもそれだけの理由があるんだなという人間の心理みたいなものが読めてきて別の面白さが出てくるのだと思います。

「漫画って何だろうね」なんて論理的なことはわかっていなくても、プロになった時から「今、売れるためだけに描いていてはいけない」という意識はありました。今のことだけを描いていたら、時代が過ぎていくとみんな過去のものになっちゃう。時代のにおいみたいなものはありつつも先を行かなければいけないし、時代を超えて不動のものがなければいけない。いつだってそういうところで仕事したいとか、勝負をかけたいと思うんですよ。

最後にこれから社会に出るみなさんに言いたいのは、美意識を持って仕事をしてほしいということ。美意識なんて無駄なものだと思っている人もいるかもしれないけれど、生活のために経済だけを追求していると、どこかでひずみが出てしまう。創作だけでなく、発言も考え方も美意識があってこそ人に一目置いてもらえるんです。「美意識が高い」と言われるヨーロッパの文化が一番だとは僕は思わないけれど、今の日本人はやはり美意識が弱いと思う。日本人は自然を尊ぶけれど、「綺麗な自然」というのは無作為ではあり得ません。「こういう自然が綺麗だよね」という美意識があってこそ存在するんです。もっと能動的にならないと。自分たちの美意識がいい街や国を作っていくんだということに気づいてほしいなと思います。