いくらでもあります! “不幸”から「復活!」する方法!!

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 生きている限り、挫折や不幸は必ずやってきます。それは大きな業績を残した歴史上の人物も同じことですが、彼らが凡人と異なるのは、その挫折を後の成功への糧としている点です。
 『心が折れそうなとき キミを救う言葉』(ひすいこたろう、柴田エリー/著、ソフトバンク クリエイティブ/刊)は、偉人たちの信じられない挫折の数々と、それを乗り越え後に発せられた、彼らの名言が収められていますので、今回は一部紹介します。

■「大事なことは、自分に何かができると信じることだ」(ジョン・レノン)
 歴史上、最も偉大なバンドといえるビートルズですが、彼らは活動のごく初期の頃に大きな挫折を経験しています。
 彼らの初仕事は、本国イギリスではなくドイツ・ハンブルクでのステージでした。
 しかし、ハンブルクに滞在中の彼らに与えられる食事は昼に一度だけ。さらに、ステージは10時間以上出ずっぱりで、控室はトイレ、宿泊先は物置、客は音楽など聞く気もない荒くれ者ばかりという過酷な環境。
 それでも彼らはこの仕事を5カ月続けましたが、ある日、メンバーのジョージ・ハリスンが18歳以下であることがバレてしまいます。さらにボヤ騒ぎまで起こし、彼らはイギリスに戻らざるを得なくなってしまったのです。
 失意のどん底にあった彼らはバンド活動を中断。メンバーもバラバラになりかけていましたが、ジョージの励ましにより、活動を再開します。
 そして、1960年12月にターニング・ポイントが訪れます。
 リヴァプール近郊のリザーランドでのステージに上がった彼らの演奏が、観客を熱狂の渦に巻き込んだのです。
 ハンブルクでの経験は無駄ではありませんでした。10時間以上もぶっ続けで言葉が通じず、音楽を聞こうともしていない種類の人々をのせるために試行錯誤した日々は、彼らにロック・バンドとして決定的な何かをもたらしていたのです。
 「大事なことは、自分に何かができると信じることだ」というジョン・レノンの名言は、この経験に裏打ちされていると言えます。

■「あなたが転んでしまったことに関心はない。そこから立ち上がることに関心があるのだ」(エイブラハム・リンカーン)
 アメリカの歴代大統領の中でも人気の高いリンカーンも、数々の苦難を乗り越えています。その最たるものが彼の選挙での落選歴です。1860年に大統領となるまでに、実に8回もの落選と2度の事業失敗を経験しています。また、落選の合間には恋人との死別も。
 これだけの敗北と不運を経験したら、普通の人ならめげてしまうところですが、そうならないのがリンカーンのすごいところ。諦めずに努力を続けた彼は、51歳でついにアメリカ大統領の座につきます。
 彼の人生と比べれば、どんな人でも「自分はまだマシな方だ」と思えるのではないでしょうか。

■「君、弱いことを言ってはいけない。僕も弱い男だが、弱いなりに死ぬまでやるのである」(夏目漱石)
 明治の文豪・夏目漱石は33歳の時に英語研究を目的としたイギリス留学を経験しています。
 今とは違い、イギリスといえば遠く離れた異国の地。文部省から支給されるお金では現地の物価に対応できず、漱石は貧乏暮らしを強いられました。そして、街を歩けば日本人とは比較にならないほど大きなイギリス人に圧倒され、大学では日本で英語教師をしていたにもかかわらず英語が全く通じません。すっかり自信を失った彼は下宿へ引きこもり、ひたすら英文学の研究に明け暮れますが、日本人が英文学を学ぶことの意義がわからなくなってしまい、悩んだ彼は神経衰弱になってしまいます。
 結局、挫折感いっぱいで任期を全うする前に帰国してしまった漱石ですが、異国を経験したことで、日本がそれまでとは違った姿に映り、英文学に興味を持てなかった理由も見えてきました。彼は異国の古い書物の研究より、日本人として独自の文学を発表したいという欲求に気がついたのです。
 そして、彼が書き出した一行目の文章が、「吾輩は猫である。名前はまだない」という『吾輩は猫である』の有名な一文です。

 常人とはかけ離れた才能を持っていたと思いがちな偉人たちも、本書を読むと挫折の連続であり、単にそれを乗り越えた人であることがわかります。
 今、困難に突き当たっている人は、それら偉人の失敗談とそこから導き出された言葉に触れることで、それを乗り越えるべく努力する元気が湧いてくるかもしれません。そして、人生は何度だってやり直せることに気がつくことでしょう。
(新刊JP編集部)