未来に続くストーリーを。100年続く空間を生み出す

ビジネスパーソン研究FILE Vol.178

株式会社 Plan・Do・See 田中隆太さん

日本だけではなく世界も視野に入れ、新規出店を手がける田中さん。田中さんが目指すものとは?


■サービス現場で裏方の仕事から経験し、一人前に。その後、ウェディング・プランナーとして成長!

「100年続くようなビジネスに携わりたい」「自分の仕事で歴史を繋いでいきたい」。田中さんはそう考え、Plan・Do・Seeに入社を決めたという。

「歴史ある建物を再生させ、上質な空間とサービスで日本のおもてなしの心を実現しながら、未来に続くストーリーをつむいでいく。そんなビジョンにひかれました。入社後は、当時広尾にあったレストラン『ザ・ハネザワ・ガーデン』に配属され、OJTで一から学んでいきました。当初の4カ月は、皿洗い、グラス磨き、トイレ清掃など、裏方の仕事を徹底的に学びましたね。入社前によく遊びに来ていたこともあり、華やかな表舞台を想像していましたが、実際は地味な裏方の仕事ばかり。正直、最初はそのギャップに心が折れそうになりましたよ(笑)」

入社5カ月目からはレセプショニストとして予約手配やエスコート、パーティーのコーディネイトを手がけていくことに。
「最大400名を収容できる大きなレストランでしたが、朝の4時まで毎日満席になるほどの盛況ぶり。次から次へとやって来るお客さまをお待たせしないために、テラス席、ガーデン席、レストラン席、バーなどの各スペースの状況を把握し、パズルのように空席を埋めながらご案内していく難しさを痛感しました」

また、ウェイターの人数が足りない時には、サービスを兼務することもあり、サービス経験ゼロの田中さんにとっては毎日が失敗と学びの連続だったという。
「お酒もあまり飲まなかったので、アルコールのメニューを覚えるのもひと苦労でしたね。大手企業で2年仕事した経験なんて、サービスの現場ではまったく役に立たない。それならどうすればいいかを考え、仕事が終わった後に毎日、バーでリキュールを3種類ずつ試し、必死で味と銘柄を覚えていきました」

ようやく一人前になったと感じたのは、入社から1年後のこと。サービスの基本を身につけたことはもちろん、レセプショニストとしてお客さまごとに座席のアレンジを加え、パーティーやイベントの希望にも柔軟に対応できるようになったという。
「デートや会食、イベントなど、さまざまな利用シーンに合わせ、希望をもとにカスタマイズしていきました。『恋人にプロポーズしたい』というお客さまに、庭園に特別な席をつくってキャンドルで演出したことも。お客さまから僕あての予約電話を頂くことも増えましたね。とはいえ、現場のスタッフは元ホテルスタッフやソムリエ連盟の幹部など、そうそうたる経歴を持つ人ばかりで、若僧の僕がイレギュラーな対応をすることに、『現場が混乱する』という反対の声もあった。何かお願いするたびに『自分がお客さまだったら、こうしてもらったらうれしいですよね』と説得し、お客さま目線のサービス態勢をつくっていきました」

2年間のレストラン勤務を経た後、田中さんは品川のホテルに配属され、ウェディング・プランナーを担当することになる。
「新たにブライダル事業を始めるホテルから委託を受け、立ち上げから携わっていきました。お客さまに向けたプランニングも並行していきましたが、またしても何もかも初めての経験。最初は挙式の習わしから引き出物についてまで、独学で学ぶ日々でしたね。そのうえ、一緒に働くのは当社で一番の人気プランナーでしたから、『僕が担当になったことでガッカリされないようにしなくては』と気を引き締めました」

しかし、3件目のプランニングの際、ドレスや引き出物を扱うパートナー会社とうまく連携が図れなかったことでお客さまの不信感が高まり、「担当を変更してほしい」と言われてしまう。
「それでも何とかトラブルを乗り越え、パーティー自体は大成功でしたが、最後までお客さまとはギクシャクしたままで。結婚式は一生に一度きり。新人だろうと何だろうと関係なく、最高の思い出をつくらなくてはならないのに、それができなかった。ショックでしたね」

そこからは、自分に足りない部分を補うため、一緒に働くプランナーの打ち合わせに同行したり、さまざまな結婚式場を回って他社のプランナーの接客を見るなどの努力を重ねた。
「『こういう提案をすると喜んでもらえるのか』『親御さんはこんな部分まで気にかけるのか』など、多くの気づきを得ることができました。僕らが何をやりたいかではなく、お客さまが誰に感謝したくて、どんなことをしたいかが一番大事なのだと強く思うようになりましたね。そんな中、あるお客さまのパーティー当日に、『田中さんの席、用意してあるんです。スピーチもお願いします』と言われて。お二人のなれ初めからゲストへのもてなしの思いまでを話してほしいとのことで、本当にビックリしました。100人もの列席者の中、スピーチするのはたったの5人。半年間おつきあいする中、大切なスピーチを任せてもらうほどの関係になれたのかと感動しました! この仕事をしていて良かったと、心から思えた出来事です」


■現場の最高責任者を経験した後、新規出店を手がける部署の室長に

 田中さんは1年の経験を積んだ後、再びザ・ハネザワ・ガーデンに戻り、ブライダル業務のマネージャー代理として8名のウェディング・プランナーをまとめた。さらにその翌年には、長野で350年続く旅館のリニューアルプロジェクトを手がけることになる。
「ゼネラルマネージャーとして配属され、スタッフ採用や教育、花の装飾を手がけるパートナー企業との提携など、立ち上げからすべて手がけていきました。が、東京では有名になった当社も、長野での知名度は低かった。提携先探しで門前払いを食うことも多かったですね。それに、直営店なら『どんなリクエストも受け入れる』という社長のサービス理念が浸透しているけれど、委託を受けて一からスタートするこの地では、それをなかなか受け入れられない人も多かった。スタッフもパートナー企業も含め、すべての人たちにサービスの考え方を浸透させる啓蒙活動からスタートしました」

「350年の歴史を持つ旅館のブランドを背負う覚悟はあるか」という問いかけから始め、スタッフを東京や京都の自社直営店に連れていってPlan・Do・Seeのサービスを体験させるまでしたという。
「オープン当日は1000人ものお客さまが詰めかけ、何百メートルもの長い行列ができました! 大盛況の様子に、感無量でしたよ。この後、当社の旗艦店である京都の『ガーデンオリエンタル』のゼネラルマネージャーとなり、150名のスタッフを抱えることになりました。ゼネラルマネージャーの立場になると、自分が直接手を下すのではなく、部門マネージャーやリーダークラスとの意思疎通をしっかり図ることが重要です。サービスへの考え方に加え、歴史と伝統ある建物にどんな思いがあったのかを理解したうえで、何十年も続く空間とするためにはどんな内容を提供していくべきかなど、ビジネスそのものへの考え方までをじっくり話していきました」

現場の最高責任者として経験を積んだ田中さんは、入社7年目で日本全国のホテルや旅館に対してのコンサルティングを行う部署に異動する。
「もともとあったロケーションやオーナーの思いを抽出し、その場しのぎではない本質的な変革を提案していきました。お客さまとスタッフがその空間を愛し続けられるよう、さまざまな提案をしていきましたね。全国各地を飛び回り、経営上の問題点を聞く中で、多くの気づきを得ることができた。たくさんのサンプルを見て回ったことは非常にいい経験になりましたね」

2011年、田中さんは現部署である社長室開発チームの室長となる。新築はもちろん、既存のホテルや旅館を借り受け、Plan・Do・Seeならではの空間へと進化させる形式での新規出店も手がける部署だ。
「社長と一緒に世界中のホテルを視察していますが、新しいアイデアを考える時間がすごく楽しいですね! 新規出店の候補となる現場を視察する時には、その建物の条件や長所、短所などの目利きをしますが、これがなかなか難しい。それに、どんなにもうかりそうな場所でも、Plan・Do・Seeの考え方に合っていなければNGです。その建物が持つストーリーに価値を見出せるかどうかはもちろん、『好きな場所で、好きな人と』がテーマでもあるので、そこからあまりにもかけ離れた場ではできない。周辺環境も含め、変化する場の状況を見越しながら、どんなリニューアルが求められるかを考えています」

日本だけではなく、世界も視野に入れており、すでにニューヨークにレストランを出店。現在はホテル案件も準備しているという。
「世界の主要都市に、僕らの手がけるホテルがあればもっと楽しく、もっと快適な滞在ができるはず! 日本のおもてなしの素晴らしさを全世界に広めていきたいと思います。近い将来には、アジア進出も目指したいですね」

仕事のやりがいは数多くあるが、最も手応えを感じるのは、メンバーの成長を見る瞬間だと話す。
「一緒に働いたメンバーの多くは、現在、責任あるポジションを任されたり、その活躍がメディアで取り上げられるなどしています。元気に頑張っている姿を見るとすごくうれしいですね! 僕らのポジションは、会社の将来や新しいサービスなど、ワクワクするような未来を語れる唯一のポジションでもあります。みんなに未来のビジョンを聞かせ、キラキラとした目で応えてくれる瞬間に、すごく大きな手応えを感じますよ。日本にも世界にも、長い時間の中で価値が見失われ、壊されてしまう素晴らしい建物がたくさんあります。僕らは、その建物を受け継ぎ、未来につながるストーリーをつくって、次の100年となる歴史をつむいでいく。誇りを持てるこの仕事を一生涯続けていきたいと思っています」