こうしたロケ地の都合は、映画ではよくある話。

しかし、架線のない線路を電気機関車が走り続ける場面はいただけない。

せめてパンタグラフを上げてくれたらよかったけど、残念ながら2基ともたたまれている。

列車の安全装置についても、この状況なら全車両にブレーキがかかるはず……、という場面がある。

撮影に使われた列車の編成は荷物車、1等座席車、寝台車、食堂車、2等車、最後尾にも緩急車を兼ねた荷物車らしき車両がある。

撮影専用列車だから最後まで同じ編成が使われている……、と思ったら、なぜかラストシーンでは客車が増えてしまった。

惜しい。

また、密閉隔離された列車は、窓の外から目隠しの板を取り付けられてしまうけど、これもラストシーンの車両ではなくなっている。

疑い始めるとキリがない。

セリフではこの列車に1,000人の乗客がいるという。

食堂車と1等寝台個室を含めた数両の客車で1,000人は多すぎる。

ちなみに東海道新幹線の700系16両編成の定員が約1,300人だ。

カサンドラ鉄橋が危険だという乗客の証言で、「危険な橋だから下に住んでいた人は逃げ出した」と言うのだが、鉄橋の下は川。

逃げた人々はどこに住んでいたのだろう? そもそも、列車は隔離されたけど、国際保健機構の窓ガラスが割れたのなら、ジュネーブの人々も感染したはず。

海外の映画評サイトを見ると、列車のルートも不自然という指摘があった。

撮影に協力したスイス国鉄は、同社が陰謀に加担したように描かれたとして激怒したという。

おそらくは鉄道描写の甘さも不満だったのではないか。

鉄道ファンはつい意地悪なツッコミをしてしまうわけだけど、それらも鉄道映画を観る楽しみのひとつ。

こうした部分を割りきってしまえば、この映画が持つテーマ「大国の陰謀の恐ろしさ」「生命の尊さ」がひしひしと伝わってくる。

ラストシーンでは機密保持の残酷さが描かれるが、同時になぜこの映画でジョナサンを著名な精神科医に、元妻のジェニファーを流行作家にしたかを考えてみよう。

「きっと正義は行われる」と期待できるはずだ。



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