課題と答えをセットにして考えるためには、両者の間を行き来しつつ、問題の全体像を俯瞰する必要がある。それができたからこそ、私たちは独自の提案をつくりあげることができたのだ。

そのときに不可欠なのが、各分野の一流の人たちとの議論である。「ビジョン2050」は、それぞれの分野の俊英と交わした本音かつ本気の議論がなければできあがらなかっただろう。

年齢が若く優秀な人ほど議論するのを怖がる傾向があると、このごろ特に感じている。それは、言い負かされるのが嫌だからだ。私が東大で教えていた時代、「お利口競争はやめろ」とよく学生に言っていた。

優秀な高校の出身者ほど、大学に入った後も「俺のほうが知識が豊富だから、あいつより頭がいい」と決めつけたり、揚げ句の果てには「僕は人との議論で負けたことがない」と豪語したりする。愚かなことである。議論は相手を言い負かすためにやるものではない。自分の視野を広げ、知識が浅かったり不十分だったりする部分を再認識し、補うためにやるものだ。

若い頃は、これは他人に負けないという専門分野をひとつ持つことすら難しい。ただ、本気で自分をさらして人と議論を続けていくことで、自信のある分野ができてくる。逆に年齢を重ね、ある分野で成功し始めると、鋭い指摘を受けることもあるだろう。そんなときは、多少痛くても我慢することだ。

自分は完全ではない。いつでも人に教えを請い、刺激を受けたい。そうやって一生学び続ける態度を取れるかどうか。自分の頭で考えられる人は、決して自説に凝り固まってはいない。

他人に教わることが重要だということは、助手時代に教授とのやり取りを通してあらためて気づかされた。このときも、いま思えば自分の頭で考えた経験のひとつである。

当時、教授から「つまらないことに腹を立てるな」とよく諭されたのだが、何度も同じことを言われているうちに、「あれ、おかしい」と思い始めたのだ。ある状況におかれた場合、釈迦やキリストのような聖者でない限り、腹は必ず立つものである。そう考えると、「腹を立てるな」というのは、「がまんしろ」という意味に等しいということだ。

この話には後日談がある。教授になった頃、同僚から「小宮山さんは若い人からいろいろ言われても、腹を立てないから偉い」と感心されたことがある。それに対してこう答えた。

「いや、そうじゃないんです。助手たちから、研究室の運営について嘴を突っ込まれると、私だって腹は立つ。でも、そこで一喝した途端、次から彼らは重要な情報を私の耳に入れなくなるでしょう。それでは私が“裸の王様”になってしまうので困る。腹は立ってもそれを表面に出さない。つまりは怒らないことにしているんですよ」と。

これは結構重要なことだと思っている。いま経営者や政治家など組織のトップの立場にある人で、現場の状態を正確に把握している人がどれだけいるだろうか。

私が東大の総長を務めていたときの話である。大学まで出勤する際、運動不足を解消するため、少し離れた地点で車を降り、総長室まで20分くらい歩くようにしていた。そうすると、教授や准教授から職員まで、いろいろな人とすれ違うことになる。2、3分立ち話を交わすだけでも、密度の濃い情報収集ができたものだ。

たとえば大学の上層部が物品の購買手続きのやり方を一変させたことがあった。ある朝、たまたま出会った職員にそのことを尋ねると、「初耳だ」という。ここから、職員には伝わっていないことがよくわかる。そこで担当者に「職員向けの説明会はやらないのか」という提案ができる。

総長という立場にあると、ふだんは理事、副学長といった運営に直接関わる人たちとしか話さないことが多い。総長室に閉じこもっていると、生の情報に接する機会がなく、全体像を把握できなくなってしまいがちだ。

組織のトップの場合、自分の頭で考えるということは、自分で決断するという行為と密接に結びついている。そのために不可欠なのがこうした生の情報である。その重要性を認識しているリーダーが日本にどれだけいるか。大学や企業ばかりではない。これは日本の国政にも当てはまる大問題なのである。

※すべて雑誌掲載当時

(三菱総合研究所理事長 小宮山 宏 構成=荻野進介 撮影=尾関裕士)