野田佳彦首相は「国民生活を守るため」と約2カ月の“原発ゼロ”状態に終止符を打った。福井県の大飯原発3号機が再稼働し、今月下旬には4号機も続く。「これで経済の安定が保たれる」と自信さえ見せる。
 一方で、「大飯原発直下の断層は活断層の可能性が高い。調査は数日でやれる」(東洋大学・渡辺満久教授)など地質の専門家からの指摘は、“部外者”だからなのか一切受け入れようとせず、また連日各地で行われている反対デモの声を耳にするや、思わず「大きな音だねぇ」と漏らしたという。
 そんな原発“断固”推進という前のめりの姿勢に対して、『原子力村』と呼ばれる“原子力利権集団”の中から、何と「原発反対」の声が発せられた−−。

 「各方面の専門家による40回以上の議論を重ね、安全性は十分に確保された」
 再稼働にあたり、野田首相が国のトップとして表明した言葉だが、意見の違う“専門家”の指摘はあからさまに無視している。まるで「人の土地に穴掘って調べたいなんてフザケンナ」とでも言いたげだ。これでは反対派から「電力会社の意向に沿っているだけだ」とののしられても仕方がないだろう。
 大飯原発はストレステスト(耐久試験)の2次評価もなされておらず、やる気もない。放射性物質の拡散を防止するフィルターを備えたベント(排気)設備の完成は4年も先だ。津波対策の防潮堤のかさ上げも2年後というありさま。正直言って「安全性が確保された」どころではない。

 あまりのずさんな対応に、原子力の研究開発に携わる当事者、いわゆる“原子力村の住民”からも疑問の声が噴出している。今までは考えられないことだ。
 「そもそも安全神話など何の根拠もない、まさに神話にすぎなかったことは、福島第一原発事故で学習済みのはず。それにもかかわらず野田首相の再稼働に関する答弁を聞くと、いまだに神話を信仰しているとしか思えず、危うさを感じます」
 JAEA=日本原子力研究開発機構(茨城県・東海村)の労働組合(=原研労組)・岩井孝委員長はこのように述べ、野田首相の意向に異議を唱えている。

 同機構は日本原子力研究所と核燃料サイクル開発機構が2005年10月に合併して発足。文字通り日本の原子力の研究と開発を担い、職員たちはまさに“村民”。原研労組には、同機構に勤務する約4000人の職員中約200人が参加し、『脱原発』の姿勢をはっきりと打ち出している。
 原子力研究を推進し、原発の開発にも深く関わってきた機関として、原発に否定的な見解は本来タブーであるはず。それだけに、「率直な意見を述べるのは簡単ではない」中で、あえて岩井委員長は原発の再稼働にノーを訴えている。
 「原発の耐用年数は40年と説明する研究者もいますが、科学的根拠があるわけではないんですね。実際、東海第二原発は至るところに亀裂が生じ、もはや限界に達しているんです。それを修理に修理を重ねながら動かしているのが実情なんです」

 対して、同機構にもう一つある労組『原子力ユニオン』は、職員の雇用や処遇問題、職場改善などに取り組む以外は基本的に経営方針に従う、いわゆる企業内組合。同じ労組ながら両者のスタンスはまったく異なる。
 原研労組は原発の安全性を疑問視するだけでなく、大事故の懸念さえ認めている。
 やや古いデータだが、1986年4月のチェルノブイリ原発事故後、組合員に対して実施したアンケートで、「事故は起こらない」との回答は11%、「心配」との回答は42%、「十分な安全は立証されていない」との回答は28%であることがわかり、「心配」と「立証されていない」を合わせると、7割の組合員が原発の安全性を疑っていたことが明らかになった。
 原発を研究する当事者でありながら、その原発に信頼が持てないと言っているのだ。

 このような結果を踏まえ、さらに福島第一原発事故を契機に原研労組は、『拙速な原発運転再開に反対する』と題する声明文を発表し、脱原発の方針を明確にした。内容は次のようなものである。
 福島第一原発事故は、「起こりえない」としてきたことが実際に起こったことで、これまで「安全を守るためにはこれでよし」としてきた東電、原子力安全委員会、保安院などの考え方が完全に破綻したことを示している。大きな事故になれば国家的危機を招くとの認識を持つべきである。そしてさらに、「電力なしでは生活ができない」「原発を動かさないと電気がなくなる」などの発言は問題であり、根拠なしに安全というのは犯罪的な行為である。
 ここまで言い切り、強いトーンで再稼働に傾斜する政財界をやり玉に挙げ、声明文をこう締めくくった。
 「たとえ数千年に一度の天災であっても、広範な放射能汚染で国を危機に陥れるようなものは運転すべきではない。拙速な原発運転再開に反対する」
 こんな勇気ある声がゼロになることこそ、絶対にあってはならないだろう。