AVとピンク映画をまたいで16年ものキャリアを重ねた。そして、関わった誰からも愛された。そんな「アダルトの妖精」は、ある日、忽然と世を去ってしまう。翌日が誕生日という心はずむ晩に、林由美香はなぜ、1人きりの部屋で死んでしまったのか─。
AV400本に出演
〈遺体は、部屋着でくつろいだ状態でうつ伏せに寝そべっていました。安らかな死に顔でした。争った跡もなく、所轄警察署も事件性がないと判断しております。死因が特定されないため行政解剖に回されましたが、特に異常は見当たらないとのことでした〉
 05年7月3日、林由美香の遺族は、一部のメディアにこんなFAXを送った。由美香は6月26日午後10時頃に自宅で亡くなっており、その翌日に母親や元恋人によって発見された。そのFAXには、死後もくすぶった「自殺説」や「事故死説」を封印するかのような性急さが見られた‥‥。
 時代が昭和から平成に変わった89年に、林由美香はAV女優としてデビューした。当時の「単体女優」は、まして由美香ほどのビジュアルなら“擬似”であることが当然なのに、あえて“本番”を選んだ。そのほうがラクだからという、いかにもあっけらかんとした理由である。
 由美香は、またたく間に人気女優となり、AVだけで400本、ピンク映画に主舞台を移して200本という膨大なキャリアを重ねた。AV監督のカンパニー松尾は、公私ともに由美香に夢中になった1人だ。
「2回目に彼女を撮った『硬式ペナス』という作品で、キャンペーンで一緒になったんですよ。その後、彼女から電話がかかってきて、ゴハン行こうよという話から、半年くらいつきあうようになった」
 松尾が撮った「硬式ペナス」は、編集の段階で、いかに自分が林由美香を好きであるかを訴えている。松尾いわく〈ラブビデオ〉として由美香だけに向けたものであり、それに彼女が応えた形となった。
「最初から単体女優としてデビューしたくらいだから非常にチャーミング。それに加えて、若い時から年をごまかして水商売をやってきたから、ぶっちゃけた性格。その両方が合わさって多くのスタッフに愛されたし、あれだけの仕事量にもつながった」
 やがて由美香は、ピンク映画の世界でも高い評価を受ける。ピンク映画のミニコミ誌「PG」の編集者で、ピンクの映画祭である「ピンク大賞」を主宰する林田義行は言う。
「AVの世界でも人気があったのに、さらにピンク映画でも評価されるという女優はマレでしょうね。今年はピンク映画50周年にあたりますが、その歴史に重大な足跡を残した1人。亡くなる前までは、毎年、ピンク大賞のプレゼンターをお願いして、会場を華やかにしてもらいました」
 11歳の時に両親が離婚し、父親のもとで暮らすと、やがて父は「自分の友人の母親」と再婚。居場所を失った由美香は夜の街をさまよい、60万円で処女を売れないかと考えるような荒んだ生活を送る。
 AV女優になってからは、深い意味での「円滑な人間関係」は築けないまでも、少なくとも仕事に対する責任感や、陽気な酒豪ぶりから、誰からも愛される存在になっていた。