いい仕事をすれば、人は自由を手に入れられる

仕事とは? Vol.77

お天気キャスター・気象予報士 森田正光

お天気キャスター・森田氏のユニークな解説はなぜ生まれたのか?


■来る日も来る日も考えた。みんなが本当に聞きたい解説とは何だろう?

お天気が好きでも何でもなかったんですよ。大学受験に失敗してどうしようかなと思っていた時に、高校の先生が勧めてくれたのが気象庁の外郭団体の日本気象協会でした。経済事情から浪人はできなかったので、まずは1年働いて、大学に進むかどうかを決めようと考えたんです。ところが、気象協会に入ってみたら、意外と僕に合ってた(笑)。夜勤明けの昼間が実質休日になって、大好きな映画を観に行けるのも気に入りましたし、お天気についてイチから勉強するのも苦になりませんでした。知らないことを知るというのが楽しかったんです。

24歳で東京に転勤し、天気解説者として故・土居まさるさんのラジオ番組のお天気コーナーに出演するようになりました。今でこそ天気解説者は「お天気キャスター」と呼ばれ、個性的な解説も当たり前になりましたが、当時はあらかじめ用意した原稿をそのまま読むのが基本。天気予報の自由化(1995年)以前は、天気解説の仕事のほとんどを気象協会が独占していましたから、「お役所仕事」のようなものだったんです。僕も最初は先輩たちにならい、淡々と原稿を読んでいました。

ところが、パーソナリティの土居さんが天気解説の前後に話を振ってくれたりするんですよ。その時に僕はとにかく何か切り返さなければと、素で話していたんですね。「この雨は続きますか?」と聞かれて、「たいした雨ではないので、そのうちやむと思いますよ」と原稿にないことを言ったり、「今週末は?」と天気のことを聞かれたのに、「野球を観に行きます」なんて自分の予定を答えてしまったり。そのやりとりが新鮮だったらしくて、リスナーからファンレターを頂くようになったんです。

驚きました。それまでもお天気のことはそれなりに勉強して、情報をきちんと伝えることは心がけていました。でも、ちょっとしたアドリブでリスナーからの反応が変わるなんて思わなかった。天気予報というのは番組のメインではありませんが、解説者としてはやはり聞いてほしいので、とてもうれしかったです。同時に自分の仕事の影響力を感じて身が引き締まる思いがしましたね。トークの面白さも天気予報に関心を持ってもらうきっかけにはなるけれど、それだけではただのお調子者で終わってしまう。みんなが本当に聞きたい天気解説とは何だろうと来る日も来る日も考えました。

テレビで将棋や野球を観るときも、解説が気になりましてね。いい解説というのは、目の前で起きていることをわかりやすく説明するだけでなく、「将棋って面白いんだな」「野球ってこんなふうに観れば楽しいんだな」と感じさせる何かがあると気づいた。それをお天気でやりたいと思った時に、NHKなどで天気解説を務めていた気象学者の倉嶋厚さんというお手本のような方がいたんです。倉嶋さんはとにかく博識で、気象の話の中に歴史や文学、自然科学など幅広いネタを盛り込んで聞かせる解説をする。スゴイなあと思って倉嶋さんのスタイルを目指してみると、それなりの反応が返ってきました。

でも、もっと自分にしかできない解説をしたいなと思っていた時に、番組の放送作家が「お前の解説は面白いけど、倉嶋さんと似ている。ウンチクよりも、今の世の中とお天気のかかわりの方がみんな知りたいんじゃないの?」と言ってくれたんです。なるほどと思いましてね。街に出て、お天気にまつわるちょっとしたリサーチをしては解説に取り入れてみたんです。例えば、冬の朝にコートを着ている人を数えて、翌日の収録で「昨日は12度でしたが、100人中32人がコートを着る寒さでした。意外とたいした寒さではないですね」と言ったり、好きな季節について世代別にアンケートを取って「子どもは夏、若い女性は秋、お年寄りは春が好きなんです」というように。すると、みんなが面白がってくれて、コレだ!と。ジャーナリスティックな視点を取り入れた天気解説というのは誰もやっていない。これが僕の道だと思いました。

そのうちにテレビに出るようになり、講演や執筆なども依頼されるようになりました。夕方のニュース番組にレギュラー出演するようになったのは38歳の時。気象協会の職員としては早かったと思います。日常生活に役立つようにと「洗濯指数」などお天気の新しい指標を考えたりもしました。その姿を見ていてくださった憧れの倉嶋さんから、「君は独自の路線を開いた」というお言葉を後に頂きました。この時ほどうれしかったことはないですね。


■天気予報もキャリアもプラン通りにはいかない

お天気の世界で新しいことをしようと思うと、当時の気象協会では制約があり、42歳の時に思い切って独立しました。「ウェザーマップ」という会社を立ち上げましたが、当時は僕と経理担当、リサーチ担当の3人だけ。仕事量に応じてメンバーを増やし、今では40名ほどのお天気キャスターが所属しています。振り返ってみると、天気解説者になったのも、会社経営も僕は行き当たりばったり。でも、キャリアというのはそういうものだと思うんです。綿密なプランを立てても、その通りにはいかない。状況が変わったら、その都度対処していくしかありません。

天気予報もまさにそうなんですよ。今日の観測データを分析して「明日は大雨」と結論を出しても、翌朝のデータで低気圧が少しずれたら、大雨は降らないかもしれない。じゃあ、どのくらいの雨なのか、曇りなのか。目の前にあるデータをもとに、今の結論を出さなければなりません。昨日どれだけ一生懸命分析したかとか、予報を外したことへのメンツとかは、今日やるべきこととはまったく関係ないんです。必死に考えてきたことや、やってきたことを捨て去るのは勇気の必要なことです。でも、過去にこだわっていては、前に進めない。今、目の前の状況を冷静に見つめ、時代の変化に応じて自分を変えていくというのはどんな仕事においても大切だと思います。

時代に置いてきぼりにされないためには、当たり前とされていることを常に疑うことが大事だと思います。例えば、僕が気象協会に入ってしばらくは、予報をする人の能力が重視されていて、解説の力はあまり注目されてなかった。でも、コンピュータによる予報の的中率が上がってきた1990年代初め、僕は直感的に天気解説がますます重要になると思いました。予報はシステム化できても、わかりやすく、興味を持ってもらえるよう解説するのは人間にしかできないからです。その読みは当たったと言っていいでしょう。「天気解説は情報を正しく伝えさえすればいい」というかつて一般的だった考えを疑わなかったら、今の僕はないでしょうね。

最後に、社会に出たら、経済、つまりお金って何だろうということも意識するといいですよ。僕は昔、「経済」って聞いてもピンとこなかったけれど、30代半ばから経済が好きになった。資本主義というのが、自分のやったこととか、相手を喜ばせた対価としてお金をもらえるということなんだって実感できたから。で、お金って何かというと、自分の自由を保証してくれるものなんだと理解した。もちろん、社会のルールの範囲内の自由ですけどね。つまり、いい仕事をすれば、人は自由を手に入れられる。僕は幸せとは自由であることだと思うので、資本主義っていいなと感じたんですね。ただ、間違えてはいけないのは、お金をもらえるのは「相手を喜ばせた対価」だということ。仕事をするって、そこに尽きると思いますよ。