昭和の残像 鉄道懐古写真 (58) 飯田線に残ったスカ色旧型国電、最後の輝き - 伊那松島機関区の”珍車”も

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「東京12チャンネル」が「テレビ東京」に社名変更した……、失礼! マニアックすぎました(笑)。

寺尾聡が唄う『ルビーの指環』が大ヒットし、東京と伊豆を結ぶ特急「踊り子」に使用される185系がデビューした1981(昭和56)年は、大量の戦前形旧型国電が立て続けに引退した年でもあります。

3月に宇部・小野田線、7月に大糸線、8月に身延線と、それぞれ旧型国電が最後の輝きを放ち、引退していきました。

筆者はこの年の7月下旬、「信州ワイド周遊券」を購入し、往路は新宿駅から松本駅へ向かい、数日後に引退を控えた大糸線を撮影、復路は甲府から身延線経由にして、8月に引退する身延線を撮影することにしました。

そして大糸線から身延線への移動で甲府へ向かう途中、中央本線辰野駅から飯田線の伊那松島駅に寄り道。

身延線から旧型国電が引退した後、国鉄線上で最後のスカ色戦前形旧型国電となる、飯田線伊那松島機関区所属の”古豪”たちを撮影しました。

滞在時間が1時間弱という、慌ただしいスケジュールの中での撮影でした。

当時の「信州ワイド周遊券」は長野県内の国鉄線乗り放題と、非常に使い勝手のいいきっぷでした。

1981年頃、この周遊券で旧型国電を追った人も多いのではないでしょうか。

写真4の右奥に写っているのは、伊那松島機関区の珍車・救援車クモエ21009です。

救援車とは、災害、脱線、踏切事故などが起こった際、現場に出動し救援作業をするための車両で、車内には枕木、ジャッキ、クレーンなどの各種資材や機材を積んでいます。

緊急時以外の走行は検査入場くらい、という車両です。

当時の救援車は、ほとんどが古くなった車両や廃車になった車両から改造されていました。

クモエ21009も、クモハ11235から改造されています。

最も特徴的なのが、大きな扉が設置され、口を開けた妖怪のような奇妙な前面です。

通常、救援車は救援作業中に資材や機材を出しやすいよう、側面に大きな扉を設置していました。

このクモエ21009では、飯田線中部の狭隘な山岳線区で、線路方向にのみ空間が存在する場所での救援作業を考慮し、前面にも大きな扉が設置されました。

1981年8月、身延線から旧型国電が引退すると、国鉄線上のスカ色戦前形旧型国電は飯田線伊那松島機関区所属の約50両のみに。

最後の活躍を続けましたが、新性能化により1983年6月に定期運用が終了、7〜8月の「さよなら列車」運転をもって引退しました。

1983年9月以降、旧型国電は可部線の72系(1984年10月引退)、富山港線の72系(1985年3月引退)、鶴見線大川支線のクモハ12(JR化後の1996年3月引退)、小野田線本山支線のクモハ42(JR化後の2003年3月引退)などを残すのみとなりました。

飯田線を撮影した日の午前中に撮った大糸線のラストカットと、移動後に撮った身延線のファーストカットも紹介します。

大糸線、飯田線、身延線、すべて同じ日の撮影です。