「失われた20年」と日経社説が犯した罪と罰

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■煽りやごまかしは枚挙にいとまなし

日本経済新聞は経済が専門の「クオリティ・ペーパー」だから、少なくとも経済情報については信頼できるなどと思ったらとんでもないことになる。

最近のTPP(環太平洋経済連携協定)の報道や論説も、ひどいものだった。2012年2月22日、民主党の経済連携プロジェクトチーム総会で、政府が最新の交渉状況を参加9カ国の交渉が「想像絶する遅れ」と公表したとき愕然とした人も多かった。

日本経済新聞も同日深夜の電子版で「TPP9カ国交渉、長期化へ 政府が21分野の状況報告」と報じたが、その内容が「関税撤廃は9カ国が集まって議論しておらず、いまだに2カ国間の議論が続く」というのである。

ところが、翌日の朝刊になるとこの記事のメーンタイトルが「日本、ルール作り参加余地」に変わってしまうのだから驚く。「『いまさら参加してもルール作り加われない』との主張に反論する材料にもなる」という日経の言い訳が、記事全体のタイトルに化けてしまったのである。そもそも、「TPP参加へ野田新首相に時間はない」(11年9月2日付社説)などと述べて、もう余裕がないと煽ってきたのは日経ではなかったのか。

こうしたごまかしは、TPPの報道では常套手段だった。12年2月18日付の「TPPの誤解 薄らぐ」という記事はその典型といえる。反対派が恐れる公的医療保険制度の廃止は米国が「要求していない」と述べ、関税撤廃も交渉しだいで例外が認められるのだから、前原元外相の言った「TPPおばけ」の真偽が判明しているというのだ。

こういうのを詐話という。まず、公的医療制度については、交渉前から「おまえの国の公的制度を『廃止』させてやる」などという馬鹿はいない。問題になっているのは制度の「変更」であって、米通商代表部が11年9月に発表した「医薬品へのアクセスの拡大のためのTPP貿易目標」では、「政府の健康保険払戻制度の運用」の「透明性と手続きの公平性」を要求するとあるのだから、これは変更させるという決意表明にほかならない。

また、この要求は、すでに米豪FTA(自由貿易協定)で変えさせられたオーストラリアと同種の医薬品代払戻制度を持つ、ニュージーランドだけがターゲットであるわけではない。この「払戻制度」はreimbursement programsであって、米通商代表部が毎年出している『外国貿易障壁報告書』で、しつっこく日本に変更を求めているreimbursement policiesと同じ扱いになりうることは容易に推論できる。

さらに、関税撤廃の例外については、例外がないからTPPは素晴らしいと煽ってきたのは誰だったのか。11年2月2日付日経の記事「TPP 例外品目少なく 交渉参加9カ国、ルール作り着々」では、この時点で政府が集めた情報に基づいて、例外品目は少ないのに交渉は着々と進んでいると煽っている。しかし、1年経過してみたら「想像絶する遅れ」に変わってしまったのである。

これは政府もひどいが、自分たちで取材して検証しなかった日経は、クオリティ・ペーパーとか経済専門紙とかの看板を下ろすべきだろう。一部の通信社は、交渉の遅れなど1年前にすでに報じていた。にもかかわらず、「現在の交渉国の政権は、それぞれ覚悟をもって、高度な自由化に挑んでいる」と書いていたのは日経社説(11年11月3日付)だったのである。

TPPでは、11年10月26日付の「TPP参加で『GDP2.7兆円増加』」という記事も呆れたものだった。内閣府が発表した2.7兆円は10年での数値で、1年では2700億円にすぎなかった。それなのに、日経はひとことも「10年で」と断っていないのだ。これにはシナジー効果が入っていないとか、積分するから数値はもっと多いという人もいるが、以前、2.4兆〜3.2兆円と発表したとき、シミュレーションを担当した川崎研一氏が、1年に換算すると3000億円程度だから、あまり期待しないようにと警告していた。

他の大新聞も朝日以外はすべて「10年で」がないから、日経も同罪というわけにもいかない。しかし日本経済新聞は経済専門紙であり、この点、もっと厳密であって然るべきだった。しかも、その後も12年4月4日付社説「景気の持ち直しを本格回復につなげよ」のように、あたかもTPPが経済成長をもたらすかのように論じる欺瞞をやめていない。

日経紙面のこの手のごまかしや煽りは枚挙にいとまがないほどだ。

1989年12月末にピークだった日経平均が3カ月で4分の3にまで急落したとき、90年3月23日の日経社説は「投資家が不安心理にかられて売りが殺到する恐慌相場ではない」と分析し、「昨年までの上げがあまりにも急ピッチであり、いまはその行き過ぎの修正局面にあるとみてよかろう」などと見当はずれなことを書いていた。もちろんこの下落は恐慌相場であり修正局面ではなかったが、バブルを煽った日経は何の反省もしなかった。

■米国への崇拝以外に根拠が何もない

同じことは00年代の二度にわたるアメリカのバブルについてもいえる。

アメリカでIT(情報技術)バブルが崩壊したさいにも「幻想の部分を市場自体がつぶす過程に入った」(00年4月30日社説)と呑気だった。住宅ブームで生まれた空前のバブルについても「住宅価格が上がっているのは確かだが、バブルではない」というグリーンスパンFRB議長の言葉を引用しながら、アメリカのバブルを指摘する者に反論するコラムを掲載した(02年10月12日付)。

そもそも日本経済新聞には、アメリカは住宅バブルだという認識が欠落していた。問題の中心だった「サブプライム」という言葉が、06年になっても一回しか紙面に登場していない。これはいかにアメリカでの取材がいい加減だったかを示すものだろう。それでいて、事が起こってから社説に「サブプライムが変えた世界経済の風景」(08年8月11日付)と偉そうに掲げたのだから唖然とした。

アメリカに関する記事については、もう、ほとんどアメリカ経済への崇拝とアメリカ政府への追従だけといってよく、01年からエンロン事件などで明らかになる株価至上主義にひそむアメリカ型コーポレート・ガバナンスの腐敗をまったく報道していない。

それどころか、「米国では、社外重役が選考委員会を作って大々的に後継者を探すという具合に、トップの決め方が、内輪でことを運ぶ日本とは全くちがう」(93年4月21日付)などと述べる記事が載った。しかし、すでにアメリカでは、社外重役は会長兼CEOのお仲間が就任するものに転落していたのである。

アメリカ追従報道の典型としては、00年7月19日付夕刊の一面に「日米政府発表、NTT接続料、4月から引き下げ合意」との記事がある。接続料を下げろといっていたアメリカと日経の要求がついにかなえられたと手放しで喜ぶ記事だった。00年7月17日の社説でも日経は「長年の懸案に答えを出す姿勢をみせれば、クリントン米大統領は中東和平交渉を中断してでも沖縄に来る」とアメリカのお先棒を担いでいた。

ところが、同じ7月19日夕刊の二面には「米の通信接続料算定法、連邦高裁が違法判断」という小さなコラムも載った。実は、日米接続料交渉で根拠にされた接続料算定法が、アメリカ国内の裁判では「空想」の産物とされたという報道だった。こちらは地味なコラムだったが、さすがに事の重大さから日経も無視できなかったのだろう。

日本経済新聞の記事は、たしかに情報量は多いかもしれない。しかし、その大半がそのときどきの自社キャンペーンのプロパガンダで、しかも、アメリカへの崇拝以外には何も根拠がない。読者が判断の材料とするにはあまりに危ういことが、たったこれだけの例からも明らかだろう。

※すべて雑誌掲載当時