江戸の中にあった“グローバリゼーション”

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 大航海時代と言われる15世紀末から、世界はグローバリゼーションに突入した。そんな世界の状況の中、日本の江戸時代の人々はどのような生活をしていたのだろうか。

 『グローバリゼーションの中の江戸』(田中優子/著、岩波書店/刊)では、15世紀末から地球規模で起こっていたグローバリゼーションの中で、日本人がどのように「自分の体に合った服」をつくり、その激しい流れに呑み込まれずに、独自に生活していたかを解説していく。

 江戸時代の日本はガラスの技術をヨーロッパから導入し、単に製品を輸入するだけでなく国内産業として育てた。
 国内産業として育てたのはグラスや金魚鉢だけではない。江戸文化に多大な影響を与えたもう一種のガラスが「レンズ」だ。望遠鏡や顕微鏡が作られたことは様々な記録に残っているが、さらに深く生活に溶け込んでいたレンズが「眼鏡」だ。浅草には「村野」という眼鏡屋まであり、窪俊満という浮世絵師が1790年ごろの浮世絵にその店を描いているという。

 その眼鏡屋についての描写があった浮世絵だが、中国版画の影響を受けて発展してきたと言われている。『芥子園画伝』という中国の本の中に、美しいカラー印刷のページがあるが、これが日本の浮世絵のカラー化に大きな影響を与えた。鈴木春信らが「錦絵」と呼ばれる全カラー印刷の浮世絵技法を確立するまで、日本には完璧なカラー浮世絵はなかった。本の挿絵はほとんど墨だけで印刷され、浮世絵は必要なところに手で彩色したり、印刷するとしても2〜3色を濃淡で印刷して、さまざまな色に見える工夫をしていた。それが、1765年、鈴木春信が入っていた「大小絵暦交換会」というカレンダーを作り、交換する会で、すべての色を摺っても色ずれしない「見当(目印)」が導入され、何色もの色で印刷されるようになった。それは「見当をつける」という言葉に今でも残っている。

 眼鏡を作ったり、浮世絵をカラーにしたりと、少しでも生活を快適に、豊かにしようという江戸時代の人々の姿勢は現代と変わらない。
 海外のものを取り入れ、さらに独自で思考錯誤して進化させ、国内産業にしてしまう江戸時代の人々の器用さは、現代の私たちと通じるものがあるのではないだろうか。
(新刊JP編集部)