池上本門寺

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今回も前回の大坊坂に引き続き池上本門寺の境内にある坂道を紹介してみたいと思います。場所的には池上本門寺の最南端の場所にあり、坂の名は妙味(みょうけん)坂といいます。
そして、こちらも階段坂道になっていました。
また前回の大坊坂が隠れ〈昔は〉男坂だったかもという話はしたと思いますが、じゃあこの坂は池上本門寺の中ではどういう位置づけの坂道なんだろうとずっと考えていたのですが、こちらは結局最後までわからずじまいでした。

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写真1


そんなわけで、あれこれ想像していてもなんですので、さっそく今回の妙味坂の坂下からの様子からどうぞ。(写真1)
見てのとおりなのですが、かなりの急勾配で高低差もある階段でした。
階段自体も真ん中の割れ具合がすこし気になりますが、美階段の雰囲気はぷんぷん。
とにかく坂下から坂上のほうをみるとなんだか圧倒される感じで、階段がどこまでも続いているような錯覚をおこしてしまいそうですが、まわりの大きな樹々をみるとなぜか心がなごむというかなんというか。

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写真2


次はすこし階段を上り、坂下のほうを見たものです。(写真2)
まだ上りはじめて数分しか経ってないのにこの高低差ですよ。
しかも写真ではなんとなく寂しげな雰囲気の坂道ですが、実はこの間にも地元の人っぽい高齢者の方々とも階段ですれ違うなど(写真では時間ずらすなどして写していませんが)、なにげに人の通りはあり、中には崖のような急階段ということもあり手摺の補助などを借りながら、まるで小さな子供がうんしょと足を大きくあげるのと同じ具合に必死に階段を上っていらっしゃる人もいて、なんとも印象的でした。
ちなみに坂上には坂の名の由来ともなった妙味堂というお堂があり、そんなこともあってかみなさん縁起担ぎもかねてこんな急階段を自分の足で上り降りしているのかもしれないですね。

そこで、ちょうど妙味堂の話がでてきたついでに、坂の名の由来について大田区の公式ホームページに説明があったので、そのまま抜粋しておきますね。
『池上会館のすぐ裏手、本門寺山内妙見堂の石段坂。坂名は坂上の妙見堂にちなむもの。さて、この妙見堂は、加藤清正(1562年から1611年)の娘、瑤林院(紀井大納言頼宣の夫人)が手刻して、初め本門寺に納め、のちに昭栄院に移されたという妙見菩薩立像をまつってあります。『大日本名所図会』(注釈1)には、「妙見堂、妙見菩薩立像を安置す。寛文四年(1664年)甲辰七月紀井頼宣卿の造立せしところなり。即ち昭栄院の鎮守堂たり。」とあります。この立像は、区の指定文化財となっています。(注釈1)明治40年前後に刊行された地誌』

で、この坂の説明の最後のほうにでてきた「昭栄院」なるお寺が写真2の左側にちらりと見えていたりします。(昭栄院についての詳しいことは公式サイトみてください。)
なので、地図だけでみれば昭栄院の離れのようにもみえる妙見堂ですが、実際に歩いてみるとその間にこんな高低差のある急階段があるというわけですね。

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写真3


また写真2と同じ位置より、坂上のほうを見てみたものが写真3です。
いちおうこのあたりが坂の中腹あたりのようです。
なので、見た感じからもこの階段坂道、このまま同じ勾配具合で頂上までずっと上ってしまうみたいですね。
あと坂上のほうにちらりと緑の屋根が見えていますが、こちらがさきほどでてきた妙見堂です。

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写真4


さらに坂を上り、坂下のほうを眺めてみたものです。(写真4)
もう坂下のほうもあるかかなたという感じになってしまいました。
また、まわりの景色もここがあまりに急勾配な階段のため同時には写真におさめられなかったのですが、遠くの景色を眺めようとすると、まわりの大きな樹々のため視界はほとんど遮られているという具合でした。
でもおかげで崖から眼下を見下ろした時のあのなんともいえない怖さのようなものをここでは感じずにはすみましたけど。


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写真5


そして階段を数段上ると坂上に到着しました。(写真5)
あと最初に言うのを忘れていましたが、ここも実は隠れ富士見坂です。
地図で確認してみると、位置的には写真5の右端あたりの方向に存在しているはずなんですよ。
なので、坂道的には軸線ずれているのであれですが、これだけまわりの街との高低差があれば、緑の少ない冬あたりにくれば富士山見えそうですね。(ネット情報では写真もありますよ。)

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写真6


で、最後は背後に建っていた妙見堂など。
立派なお堂でした。
そういう意味では、こんなお堂が男坂とかそういうものでもないのに、坂上すぐの場所に建っているというのも坂道的にはおもしろいかもですね。

住所
大田区池上2