鉄道トリビア (158) 東武鉄道、西武鉄道、JR南武線…、「北武鉄道」もあった!

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東京スカイツリーの高さ634mは「ムサシ」にちなんだというエピソードで知られるように、かつて関東地方は「武蔵の国」と呼ばれた。

東武鉄道の社名の由来は、「武蔵の国の東」の鉄道だから。

同様に西武鉄道の前身となる会社のひとつ、西武軌道も、武蔵の国の西をめざしたことからこの社名になった。

南武鉄道という会社は現在はないが、JR東日本に南武線があり、その前身が南武鉄道だった。

同社は五日市鉄道を買収するなど路線網を広げたけれど、戦時下の1944(昭和19)年に国有化され、南武線・五日市線という路線名が残った。

ちなみに、南武鉄道の不動産部門は存続しており、太平洋不動産という会社名で新宿パークホテルを運営している。

これで東西南北の「東」「西」「南」の鉄道路線がそろった。

しかし「北」がない。

武蔵の国の北に北武鉄道はなかったのだろうか? 関東平野の北へ建設された鉄道といえば、東北本線の前身、日本鉄道があった。

他に鉄道会社が設立される余地はなかったか……。

いや、「北武鉄道」は確かに存在した。

現在の秩父鉄道の一部区間が、旧北武鉄道だったという。

しかし南武線のように路線名が残っていない。

ちょっと残念である。

北武鉄道の設立は1920(大正9)年。

翌年4月、熊谷駅から行田駅までを結ぶ路線を開業させた。

しかし1922年9月に秩父鉄道と合併している。

合併直前の8月には行田駅から羽生駅まで延伸している。

熊谷〜行田間が北武鉄道だった時期はたった1年5カ月。

行田〜羽生間にいたっては、わずか1カ月だけだった。

秩父鉄道は1899(明治32)年、上武鉄道として設立された。

1891年に熊谷〜寄居間を開業し、さらに西へ線路を伸ばした。

1911年には現在の長瀞駅まで、1914年には秩父駅まで開業した。

1916年に社名を秩父鉄道へ変更し、その後、影森駅まで到達。

北武鉄道と合併した後、1930年に三峰口駅まで到達して、現在の路線図が完成した。

ところで、一地域名である「秩父」よりも、「北武」「上武」のほうが広範囲を指すし、鉄道会社の名前にふさわしい気がする。

秩父鉄道の名が残った背景には、武甲山の石灰石(セメントの原料)が関係しているようだ。

同社は1923年設立の秩父セメント(現太平洋セメント)にも関わっており、後に秩父セメントは大成功して主従関係が逆転する。

北武鉄道がわずかな期間で合併されたのも、そうした当時の事情が関係したかもしれない。