ソーシャルメディアが、誰でも情報発信できる時代をもたらした。
そのように言われてすでに久しい。情報発信することで、今まで知らなかったことも知れたし、ソーシャルメディアがなければ絶対に親しくなれなかった人とも「つながる」ことができた。何よりも、そうやってつながった人たちから好意を寄せられるという喜びも手に入れたんだ――。
だが、果たしてそれは「いいこと」ばかりなのだろうか。後ろ指を刺される恐怖、無反応がもたらす徒労感……。連載第3回は、希望と、その陰にある「発信疲れ」の正体を追っていこう。

1%ルール――誰が情報を発信しているのか?

 イギリスの電子新聞「ガーディアン・アンリミテッド」は「1%ルール」という経験則を提唱している。

 それは、インターネットに接続している100人のうち、自分でコメントを書いたり、映像をアップロードしたりするなりしてコンテンツを作っている人は1人程度しかいないというものだ。そしてうち10人がそのコンテンツに対してコメントしたり、引用したりしている。残りの89%はただ見ているだけ、という見方だ。

 しかし、ブログに始まりTwitter、Facebookで極まった「投稿の簡易化」と「反応しやすい仕組み」。それらが整った昨今、この1%ルールは少しずつ様相を変え、より多くの人が情報の発信者や広がりの主体者になり始めた。この流れのことを、ここでは「個人のメディア化」と呼んでおく。

 本格的な個人のメディア化。今がその入り口だとすれば、この流れは今後ますます進化を遂げていくと考えられる。一見希望に満ちたこの流れのどこに、ネガティブの要素があるというのだろうか?

 まずは、希望を示す話から始めよう。

最高齢の「友達」が教えてくれたこと

 1人、僕のとっておきの「友達」を紹介しよう。

 Facebookでのつながりの中で最高齢の友達は、80歳を超える女性だ。僕がある番組でFacebookについての話をしているのをたまたまご覧になっていて、「これは面白そうだ」と感じ、すぐにFacebookに自分のアカウントを開設し、僕に友達申請してきたことが僕らのつながりのきっかけだ。

 もちろんその方は、インターネットのヘビーユーザーでもないし、ブログも書いたことがない。それでもFacebookで投稿するようになった理由は、「自分の書いたことに反応をもらえたら嬉しい」「込み入ったことを書かなくてもいい」ということらしい。

 Facebookで僕とその方がつながってから、その方の投稿に僕がコメントし、僕の投稿にその方がコメントするというやり取りを重ねている。使い始めて間もないのに、そのやり取りはそれを感じさせないくらいテンポがいい。インターネットに慣れた友達との違いも、ほとんど感じない。僕のウォールに流れてくるその方の投稿は、とても短文だが深みがある。そして僕がコメントをすると、すぐにコメントを返してくれる。

 その方にとっては、「自分がメディア化した」体験は、長い人生の中できっとこれが初めてだろう。僕はそのことに、ひとつの感慨を覚えた。ソーシャルメディアは、決して一部の人だけをメディア化するのではない。次第にそこに参加する人の裾野を広げながら、多くの個人をメディア化していくに違いない。僕のFacebookの「最高齢の友達」が、その変化を実感として示してくれている。

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