デザインというのはサービス業に属するんです

仕事とは? Vol.76

デザイナー コシノジュンコ

コシノジュンコ氏が語る「世界を舞台に活躍するための資質」とは?


■今いる場所を素敵にしようともしないで、外に目を向けている場合じゃない

子どものころから男勝りで、何でも先頭を切らないと気が済まないタイプでした。駆けっこもいつも一等賞。みんなに賞品を見せて「またもらったの〜」なんて言うのがうれしくて、次はもっと頑張っちゃうんです。19歳で装苑賞を取ったのも私にとってはその延長線上。受賞はうれしかったけど、ひと通りみんなに得意顔を見せたらスパッと忘れて、「ハイ、次!」っていう感じでした。

装苑賞受賞から1年くらいたって、当時おしゃれな店として人気があった銀座の小松ストアの一角にコーナーを持ちました。小松にはよく遊びに行っていて、雑誌に載った自分の作品を見せたりするうちにそういう話になったんです。最初はまだ学生でしたから、今思うと笑っちゃうような背伸びもしました。子どもっぽい格好をしているとお客さまに信用してもらえないから、だて眼鏡をかけたりして。ところが、かえっておかしな感じになって、大人のお客さまから「ベビーギャングちゃん」なんてからかわれたものです。

青山に初めて自分のお店を出したのは20代後半。「ブティック コレット」というお店でした。当時大人気の「ザ・タイガース」など音楽グループの衣装を手がけて大忙しになり、70年初めには北青山に「ブティック ジュンコ」をオープンしました。パリコレクションに初めて参加したのはそのお店がすっかり軌道に乗った1978年。同期の高田賢三さんのパリコレデビューの8年後でした。

ファッションの世界で大きな山を目指すなら、パリコレは避けて通れません。ましてや、私は子どものころからフランス映画が大好きでパリにとても憧れていました。その私がパリコレに飛びつかなかったのは、60年代後半、初めてのパリ旅行で最初に降りたのが北駅だったからかも。北駅は下町の駅で、まるで上野駅に着いたようでした。憧れが膨らみ過ぎていたために、「何が『花の都』よ」と思ってしまったんですね(笑)。

「ファッションをやるなら日本よりも、パリ」と言う人もいたけど、私には理解できませんでした。自分が住んでいる場所を素敵にしようともしないで、外に目を向けている場合じゃないわって。だから、東京での仕事に全力を注いでいました。ショーも毎回、どこにもない素晴らしいものを目指した。で、自分でも「最高」と思えるショーができた時、自然と「次はパリコレだ」という気持ちが湧いてきたんです。

初めてのパリコレは大成功で、今は世界中でショーをしています。世界に認められる仕事をするために大事なのは、やはりオリジナリティでしょうね。ファッションの世界で言えば、パリの歴史にはミラノもロンドンも、日本も太刀打ちできない。でも、独特なものはどこへ行っても通用します。

オリジナリティというのは誰にもあるんですよ。どんな場所で生まれ育ったかとか、両親が何をしていたとか自然に備わったものがそれぞれあって、そういう意味ではみんな条件は一緒だと思うんです。差がつくのは、周りと同じことをしていても、人とは違うことを探して行動できる人。よく新入社員が「雑用しかさせてもらえない」って言うでしょ。でも、電話を受ければ大事なお客さまの名前を早く覚えられるかもしれないし、単純なデータ入力でも効率的に速くやれば、上司の印象に残るかもしれない。どんなことでも自分の感性を磨くチャンスで、評価されるチャンスなんです。オリジナリティを発揮するというのは、そういうちょっとしたチャンスを大事にして、人との違いを出していくということだと思いますね。

あと、「常識を破る」という言葉が好きな若い人も多いけど、サマにはならないわね。常識を破るには、常識とは何かをまず知らなければいけません。それは一朝一夕でできるものではないんですよ。常識というのも毎年変わりますから、変化も見届けないと。その時々の常識が見極められるようになって初めて、常識というのは破れるんです。だから、社会に出たらまず、「常識って何だろう?」ということに興味を持った方がいいと思いますね。


■パイオニアは文化を作った者として人々の記憶に残る

パリコレでの評価が定着すると、ファッション産業の後進国からのお声がかかることが増え、1985年には北京でショーを開きました。アジア人のデザイナーとして初めてだったそうです。もともとは北京中央美術学院でファッション部を作りたいということで、講師の依頼を頂いたのがきっかけ。私は中国語もできないし、講師は辞退したのですが、まずは学生さんたちにも手伝ってもらってショーをやりましょうということになったんですね。本物を見てもらえば、そこを目指す誰かが出てくると考えて。

ただ、いざやってみると、苦労の連続。中国の新聞社・新華社通信が「ダイナミックな中国最大のショー」と報じた規模のショーだったし、私も中国で大きなショーを開くのは初めて。なにしろ中国に「ファッションショー」という言葉もなく、「時装表演会」と言われた時代です。現地スタッフにノウハウもなければ、そのころの中国は経済的にも豊かではなくて舞台の電気も満足につかなかった。大変な思いをして本番にこぎつけましたが、あのショーをきっかけに中国ではファッション産業が盛んになったそうです。モデルクラブとかブティック、洋裁学校や美容院などファッション関係の仕事が山ほどできた。ショーを見た人、参加した人が自分で職業を作り出したんです。

ショーを見てしまったというだけで、職業まで作ってしまうなんてすごいですよね。その人たちが今では大手アパレルの社長や洋裁学校の先生になり、中国のファッション業界を牽(けん)引しています。だから、憧れとか興味がもたらす力というのはとても大きいと実感していますが、「素敵だな」「面白そうだな」と思うだけでは夢はかないません。ゲットするにはどうすればいいかビジョンを描くことが大切ですね。ただ、こだわり過ぎないこと。ぎこちなくなって、かえってチャンスを逃したりしますから。

「最初に井戸を堀った人を忘れてはいけない」という故事が中国にあるように、中国人は先駆者を大切にするので、最初のショーから30年近くたった今も私のことを忘れないでいてくれます。無鉄砲な挑戦ではあったけど、二番煎じではなく、パイオニアとして中国でショーをできて良かったなと時を経るにつれ感じます。パイオニアというのは道なき道を行くから儲(もう)からないけれど、文化を作った者として人々の記憶に残る。仕事をしていてそれ以上に幸せなことってないです。

デザインって何かと言うと、どんなものを作ってもデザインしたということにはなるんですよね。でも、仕事として成立させるには自己満足ではいけません。楽しんでもらえたり、喜ばれたり、いい意味での驚きを与えたり、着る人を満足させるものでなければデザインとは言えない。デザインというのはサービス業に属するんです。誤解のないようお話ししておくと、サービスってお客さまの言う通りに仕事をすることじゃないですよ。お客さまの期待以上のことをやるのが「サービス」。どんな仕事でもサービス精神がないと何もできないと思いますね。