被災地のマンホール蓋を訪ねて その2

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まず最初に東日本大震災により被災されたすべての皆様に心からお見舞い申し上げます。前回の記事に続いて、引き続き被災地のマンホール蓋をレポートします。


三日目

宿泊地の北上市の蓋を撮影後、国道107号を通って大船渡にむかいます。大船渡駅に近づく頃には、想像を絶する被害を目の当たりにします。震災から1年以上たっているので瓦礫はかなり撤去されていましたが、ほとんど建物が残っていない景色を見ると、津波の恐ろしさを肌で感じます。

大船渡市の色蓋(2012年4月撮影 以下すべて同月撮影)
駅前もこのような状況です。


大船渡市の色蓋

大船渡のマンホール蓋には、海と大型船、市の花の椿、そして市の鳥であるウミネコが描かれています。目を閉じると、「穏やかな春の日差しの中、大海原から港に戻ってくる大型船。それを迎えるように飛ぶ青い空を舞うウミネコ達。」なんてドラマが浮かんでくるすばらしいデザインです。

少し気分が落ち込むなか、次の町。陸前高田市に向かいます。

陸前高田市の中心部につくころには、また信じられない風景がまっていました広範囲にわたって、津波に襲われたのか。。。何もありません。頭に最初に浮かんだのは、歴史の教科書で学んだ、終戦後の東京の景色です。これだけの面積の廃墟を見たのは生まれてはじめてです。一瞬にして、生活の場が失われたのかと思うと気がめいってきました。

陸前高田駅前の陸前高田市の蓋
かってここには陸前高田駅がありました。今ではぽつんと一本の枯れ木がたっているだけです。


陸前高田市の蓋


希望の一本松(画面中央。。。このサイズにしちゃうと見えないですね。)と陸前高田市の蓋


重い気分でハンドルを握り、次の町。気仙沼市を目指します。

午後の二時頃に着いた気仙沼の町もひどいことになっています。破壊された商店街の中ぽつんとあるマンホール蓋が目を引きます。かってここには、穏やかな暮らしがあったのではないかと思うと、いたたまれない気持ちになってきます。

哀しい気持ちに包まれながら、不謹慎かと思いましたが、お腹が空いていることに気がつきます。

「気仙沼・復興商店街」そう名付けられた商店街があります。老舗を中心に約200店が並んでいた「気仙沼の南町商店街」のうち51店舗が復興の為に立ち上げた商店街です。寿司の名店「気仙沼 あさひ鮨」をはじめ、飲食店や日用品店、美容院、薬局、学習塾などが営業しています。

「気仙沼・復興商店街」の前の気仙沼市の蓋
平日の昼間でしたが、多くのお客が訪れていて、活気があふれています。早速お目当ての「気仙沼 あさひ鮨」を見つけて入ります。おいしいお寿司でお腹もふくれましたが、それと同じくらい心も満たされました。現地の皆様ががんばっている姿を見て、沈んでいた気持ちが楽になっていきます。

気仙沼市の蓋
外周部に、市の花「ヤマツツジ」、市の木「クロマツ」、市の鳥「ウミネコ」、そしてサンマが描かれています。

撮影を終え、次の町南三陸町(旧歌津町と旧志津川町)にむかいます。

気仙沼の看板

気仙沼だけではないのですが、各地の看板に復興への思いが綴られています。撮影し損ないましたが、ボランティアや復興に携わる方々への感謝のメッセージも多数あったのが印象的でした。


歌津駅の近辺もひどい有様でした。この写真ではわかりづらいですが、何も残っていません。。。マンホール蓋が残っているのが奇跡です。

旧歌津町の色蓋
イルカに見えますが、よーく見ると違います。これは、この地で発掘された太古の爬虫類、歌津魚竜です。加えているのはアンモナイトでしょうか?

くどいようですが、志津川駅の近辺もひどい有様です。偶然通りかかった南三陸町役場防災対策庁舎では、多くの人が祈りを捧げていました。私もこの旅で何回目かの黙祷を捧げます。

旧志津川町の蓋
海の恵みが描かれている外周部はわかるのですが、謎なのは、真ん中にあるモアイ。。。なんと志津川町には、モアイがあるのです。これは1960年におこったチリ地震が関係しています。チリ地震の発生から約22時間半後に、志津川町などの三陸海岸を津波が襲い死者がでています。この地震で被災し、ともに復興を遂げた両国の友好のしるしとしてモアイを輸入して志津川湾に面した公園に飾られています。このモアイをデザインしたものでしょうか、とても国際的な蓋です。

撮影旅行を終えて

三日間にわたる撮影旅行でしたが、東京での日常の生活では忘れてしまいがちな、東日本大震災の被害の大きさを実感しました。途中、大自然の驚異に重い気持ちに沈みましたが、一方「気仙沼・復興商店街」や道中で感じた復興への希望。そしてそれを実現する人間の強さも感じることができ、いつもの蓋撮影とはひと味違った撮影旅行となりました。
また同時に、三陸海岸のマンホール蓋のほとんどが海に関する蓋であることがわかりました。この地の人々の暮らしに海は切っても切れないものなのでしょう。今回撮影できなかった、まだ見ぬ被災地のマンホール蓋にも海にまつわるもの蓋が多いのですが、そんな蓋を探して、私はまたこの地を訪れたいと思います。

最後に、改めて被害に遭われた方へのお悔やみと、一日でも早い復興を祈願し、筆をおきたいと思います。