【書評】『金貸しから物書きまで』(広小路尚祈/中央公論新社/1680円)

【評者】鴻巣友季子(翻訳家)

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 著者は、清掃作業員、建築板金作業員、消費者金融業など十種あまりの職を経験してきたそうだ。「フールリアリズム」と銘打たれた本作の語り手も、「バックレ癖」で仕事が長続きせず、整備工事や不動産業、消費者金融と渡り歩いてきた。

 しかし根っからのロックンローラーらしき彼は、菩薩のように優しい妻と可愛い息子のため、家族愛に生きると決意(するが、時々キャバクラには行く)。幸せになるにはとにかく金だと歯を食いしばり、渋い日本文学を読むのだけを息抜きに、借金取りに励んでいる。

 ある日、再び仕事から逃避した彼は、浜松のホテルでついに自殺を決意。でも死ぬ前においしいお茶が飲みたい。でもスーパーで買うのは嫌、「年配の夫婦が……細々と量り売りをしているような店で買いたい」とごねる。バーに入り高めの「スカッチ」を飲んではさらにごねる。と、こんなあたりは、死出の旅に出たはずが全然死なない町田康の『どつぼ超然』のフールぶりなど彷彿とさせる。

 借金を重ねるギャンブル狂に対して、どうせ自己破産という「安全弁」にすがり野垂れ死にまでは行かないんだから、「破滅の美学」ならぬ「破滅するふりをする美学」だと、語り手は嗤う。これはそのまんま彼の人生にも当てはまることで、妻の実家にはそこそこ経済力があり妻自身にも甲斐性があり、一家で路頭に迷うことはなさそうという、安全弁付き墜落コースなのだ。

 しかしこんな男にも、あなたはそのままで良いんだと絶えず囁く妻は天使なんだか悪魔なんだかわからなくて一番の曲者! こういう女もある種、ファム・ファタールというのだろう。

 妻の言葉にのせられ、男はとうとう行きつくところに行きつく(物書きを目指す)が、これが彼の半生をなぞった私小説になるかと思いきや、正反対。言い換えれば、口とは裏腹の「うだうだ」男になっていく語り手であった。この作中作は面白いので、挿入量を増やしてもよかったかもしれない。ともあれ、尻尾を出しそうで出さない作者である。もちろん褒め言葉です。

※週刊ポスト2012年7月6日号