千代田化工建設社長 久保田 隆
くぼた・たかし●1946年、茨城県生まれ。69年東北大学工学部化学工学科卒業、千代田化工建設入社。95年海外第2プロジェクト本部 プロジェクト部長、98年取締役、2001年常務取締役兼執行役員、04年取締役兼執行役員、05年常務取締役兼執行役員。07年より現職。

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会社の危機救う「対決」より「対話」

1995年4月、8年近くに及ぶジャカルタ勤務から帰国し、全社の実情を知って、驚いた。95年3月期の決算は、売上高が3千数百億円になると聞き、100億円は利益が出るだろうと思っていたら、とんとん近くにしかならない。しかも、収益は、どんどん悪化していた。

「どういうわけか?」。聞けば、国内はバブル崩壊後の景気停滞で、海外も石油・ガス関連のプラント建設が不況期に入り、狙う新規案件が減っていた。当然、発注価格も低下した。なのに、無理な価格で受注競争に臨み続けた、という。自分が手がけたインドネシアのLNG出荷基地建設は、そんなことはない。前号で紹介したように、インドネシア側の責任者との信頼関係は厚く、経済環境に負の変化があっても採算に合うよう協力し、乗り越えた。だが、多くの地では、苦境に陥っていた。

帰国後の仕事は、アジアでのプラント建設を支える海外第二プロジェクト本部の部長。「この本部にも、採算に合わないプロジェクトがあるのでは?」と思い、調べてみると、次々に赤字の実態が浮かんできた。

だが、建設を指揮する現地責任者も、受注を受け持った営業幹部も、なかなか、それを認めない。「たとえ赤字になっても、大したことはない」と言い張る。その胸中にあったのは、バブル期までの成功体験と組織人が陥りがちな防衛本能だろう。そこに閉じこもる心を、ていねいに受け止め、さらに「事情」や「言い分」を汲んだ聞き取りを重ねる。48歳。いつのまにか、我慢もできる資質が、顔を出していた。

よく覚えているのが、マレーシアの製油所の件だ。国営石油会社の子会社の二期工事で、重質原油を精製し、ガソリンや灯油などをつくり、マレーシア国内に出荷する設備だ。ただ、良質な国産原油は外貨獲得のために輸出へ回し、中東から安く輸入できる劣悪な重質油を使う。だから、蒸留や分解、脱硫や触媒の活用など様々な設備が必要で、工事は通常の増設より複雑。コストも大幅に増す。それを、95年1月に受注した。だが、世界的なプラント不況を背景に、採算の確保がとうてい困難な価格で応札していた。どうやら、会社の上のほうから「量で稼げ」との大号令が、出ていたらしい。

プラント建設は、受注して設計に入り、完成させ、試運転を終わらせて引き渡すまで、普通の規模で約30カ月かかる。その間に、国際紛争や「リーマンショック」のような予測困難な出来事が勃発し、採算割れに追い込まれたというのなら、言い訳も通る。でも、受注段階から赤字必至では、ビジネスとして成立しない。にもかかわらず、仕事の量さえ確保すれば、何とかなるのではないかとの甘さが、経営陣にあった。

資料や証言を集めて分析すると、赤字想定額は、担当部門が口にしていた規模の約3倍になった。担当者からは、そんな数字は出てこない。でも、責めたり、追い込むことはしない。対決姿勢から、前進は生まれない。どうすれば、赤字額を少しでも小さくできるか。そのための工夫を話し合う。そして、成果が出てくれば、「われわれはこんなに赤字が膨らむと思っていたが、こうやってみたら、結果が出たじゃないか」と肯定的な会話にする。

やがて、相手も次の一手へ積極的になり、口を閉ざしていた「経緯」や「言い分」も明かすようになる。相手が抱え込んでいた事情まで聴けないと、的確な手など打てない。大切なことは「この人なら、言っても信用してくれるな」と思ってもらえるかどうか。そして、本音を聴いたら、一緒に最善の策を捜す。

「無聽之以心、而聽之以氣」(之を聽くに心を以てすることなくして、之を聽くに氣を以てせよ)――物事は、心で聞くのではなく氣で聴けとの意味で、前回触れた中国の古典『荘子』にある「無聽之以耳、而聽之以心」に続く言葉だ。人の言葉は耳で物理的に聞くのではなく心で聴け、と説いた後で、「それだけではまだ十分ではない。心も空っぽにして、その場に漂う空気や相手の心の状態をくみ取って聴け」と教える。インドネシア勤務で、現場の現地の人々と接し、「聽之以心」が身についた。帰国後の赤字プロジェクト見直しのなかでみせた久保田流は、今度は「聽之以氣」と重なる。

どんぶり勘定から「冷静な分析」へ

それにしても、全社をみると、無理な受注が多すぎた。アジア案件の「止血」では補えず、96年3月期に営業赤字となり、その後の3年間は経常赤字も最終赤字も膨らんだ。要は、長年続いた「どんぶり勘定」の結果。プラント建設では、機材の価格や人件費などを数パーセント甘く見積もっただけで、利益が吹っ飛ぶ。それが、「以前はうまくいったから、今度も何とかなるだろう」では、環境の変化をしのげない。そこを改めない限り、同じ穴に落ちる。

2000年、再び危機が高まる。売上高もプロジェクトの完工高もピーク時の約3分の一にまで落ちて、日本で有数の規模を誇っていた内部留保も消えて、優良企業の面影を失う。メーンバンクと商社に債権放棄を要請し、危機を乗り越えようとするが、10月には株価が41円と額面を割り込む。

債権放棄を受け入れた銀行から、監視役がやってきた。バブル崩壊で膨らんだ不良債権の再現を防ごうと、銀行で取り組んでいた「業務の見える化」を進めるよう、促される。98年に取締役となり、99年6月に海外プロジェクト総本部長となっていて、その「見える化」に、もろに向き合うことになる。

たしかに、プロジェクトは、外からみていても、よく見えない。設計にどれだけの人数と日数がかかっているか、作業がどこまで進んだか、予定通りに図面ができたか、それをもとに資材の発注は進んでいるかなど、細かくチェックしないから、現場の独走が防げない。それらのデータを本部へ出させ、本部長が毎月の経営会議に報告し、透明化した。

もう一つ、「コールド・アイ・レビュー」と呼ぶ手法も採り入れた。元プロジェクトマネジャー、工事経験者、財務関係者を10人ほど集めたチームで、冷静な目で分析を重ねる。各設備の内容を縦に、その工事日程を横に記した格子状の表をもとに、進捗状況やコストなどをチェックする。契約、設計開始、設計の完了、主要機材の調達、主要工事の開始など、節目ごとに実施し、他のプロジェクトとの比較もした。

当初は、強い抵抗に遭う。プロジェクト関係者から「そんなことをやっても、わけのわからない人間がみてどうするのだ」と文句が出た。でも、強行した。やってみると、ものの見え方が違ってくる。「ああ、そうか」との発見もある。抵抗した面々も「ふーん、そんなものか」と頷くようになる。現場任せの「どんぶり勘定」に、決別が進む。

「見える化」と「コールド・アイ・レビュー」は、深化が必要だ。始めて10年たち、マンネリ気味となっている。いま、最新の情報通信技術を活用し、改善を目指す。ただ、あまりにコストや効率を優先し、詰め過ぎてもいけない。ずいぶんとシビアな時代に入り、みんなが窮屈になっている懸念もある。チェックの頻度ばかりが多くなると、意欲や活力がそがれてしまいかねない。若い人が、そういう文化に染まると、会社の将来は暗くなる。

よく「インセンティブを与えよ」「モチベーションを引き出せ」とか言われるが、それよりも、夢をどういう形で語り、「千代田化工が、やっていることは、こんなに面白いんだ」ということを、わかりやすい言葉で若い人たちと共有できないと、将来につながらない。ここでも、「聽之以氣」が欠かせない。格子状の表をみながら、そう思うことが増えている。