田口恵美子『メジャーリーガーの女房』


今まで読んだMLB関係の本の中で、一番良い本かもしれない。MLBで野球をするとはどういうことかが、しっかりと描かれている。2010年末の刊行。新しい本ではない。

筆者は15年以上前、筑紫哲也さんが元気だったころの「ニュース23」で、スポーツアナとして活躍していた香川恵美子。打てば響くような聡明な女性。少し気が付きすぎる印象があった。彼女が、例えば田口壮の同僚のイチローと結婚していたら、うまくいかなかったかもしれない。しかし、田口壮は野球選手には似つかわしくない「ふつうの男」であり、少し控えめな性格だっただけに、ばちっと相性があったのだろう。

4歳上の田口恵美子は既婚者で、離婚調整時期と婚前時期が重なったために「略奪婚」と騒がれていたが、浮ついた話ではなかったようだ。

友人同士として(一応)信頼関係を深めていった時期に、田口壮がMLB挑戦を決意し、代理人を決める際に、英語のできる彼女をアラン・ニーロに立ち合わせたことがきっかけになったようだ。つまり田口の渡米決意と彼女との結婚は密接にかかわっていた。

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田口は、エリートとしてお客様扱いでMLBに渡ったわけではない。当時「AAAに落ちた」「MLBに上がった」「また落ちた」「今度はAAだ」という報道を目にするたびに「イチローのようにはいかないな」と落胆した覚えがあるが、田口夫婦はそのたびに、ファーストクラスからエコノミー、さらにはチープと生活のレベルを変えていったのだ。その格差が女性ならではの細やかな筆致で描かれている。

田口がマイナーにいた時期はそれほど長くはないが、割かれているページ数はかなり多い。それだけインパクトが強かったのだろう。

さらに、MLBでは夫のプレーを家族ぐるみで応援する。「旦那は試合、妻は家で食事の支度」という日本の生活とは全く異なるのだ。

そういうMLBの生活を受け入れ、田口家なりのスタイルを築いていったことが、具体的に書かれている。
アラン・ニーロは田口に通訳をつけなかった。これは、彼がMLBに居続けられるクラスの選手ではなかったこともあろうが、本当に選手や指導者とのコミュ二ケーションを構築するためには、通訳は邪魔になると考えたこともあった。遠回りではあっても、これが功を奏した。田口壮はアメリカの野球に、そして野球文化にしっかりと適応していったのだ。

他の選手との交友録はあまり出てこないが、アルバート・プホルズとの家族ぐるみの付き合いは興味深い。プホルズは腰を痛めてピンチに陥ったのだが、これを田口が紹介した日本人トレーナーが救ったのだ。

結婚、出産、父の死など田口家の歴史もたどられているが、こうしたプライベートのクロニクルと、選手としてのクロニクルがどのように関わっているかもわかってくる。

これまで、男が書いたMLBのレポート、選手のライフスタイルの紹介では、アメリカで野球をすることの苦労と、その反面としての魅力、喜びが十分に描かれていなかった。

この本を読めば、たとえ成績が良くなくても、MLBでい続けたいと思う選手。そして引退後も関わり続けたいと思う選手の気持ちが、実感を伴って理解できる。

西岡剛、井川慶などの選手がなぜMLBに適応できなかったのかも、これを読めば、なんとかく理解できる。ひとかどの選手としてMLBで活躍するためには「家族」は非常に重要なポイントなのだ。

最後の方には、彼女が心労のあまりうつ病になったことも書かれている。率直にカミングアウトするその姿勢には敬意を抱く。

文章が良いのだ。鉄火場の姐さんのような威勢の良さ、鼻柱の強さも感じられるが、弱音も吐いているし、本音でため息もついている。その間がいい。さっさっと書いたように見えて、じっくり練り上げた文章だと思う。

特に、「こりゃだめだ」「よっしゃいけるぞ」と日本人選手の成績に一喜一憂している男(私みたいな)におすすめしたい。