studygiftとかなんとかいうもの

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今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

■studygiftとかなんとかいうもの
studygift、正直あまり興味がない話題なのだが、なんか世間では大騒ぎになってるようで、意識しないでも断片的な情報が目に入ってくる。

断片的な情報しか知らないし、間違ってるかもしれない。確認の情報収集することすら煩わしい。だから現実のstudygiftではなく、俺の頭の中にある別世界のstudygiftとして書く。

ちょっとまえに

「人と人との繋がりが重要な社会って良い社会なのだろうか」2012年04月09日『メカAG』
http://mechag.asks.jp/461758.html

でも書いたけれど、なんか最近「寄付の文化」をありがたがる風潮がネットに蔓延している。もっとさかのぼれば「難病の○○ちゃんの手術代を寄付してください」というブームが一頃あった。そういえば最近はあまり聞かないね。

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でstudygiftについても、「やりたい人がやればいいんじゃないの?」と発言する人が少なからずいた。まあそりゃそうなんだが、今回のように詐欺事件みたいな展開になった時、「やりたい人が自己責任でやったんだから、黙って泣き寝入りしろ」ということまで想定して「やりたい人がやればいい」と言ってたのだろうか?

「難病の〜手術代」も、妙な展開になったものも少なくないよね。東日本大震災被害者のための募金がパンダの代金になった(のか最近の状況を知らないけど)例もある。

全て自己責任だというのは当たり前で、それはなにも主張していないのと等しい。株式市場だって公平な取引になるように、企業はいろんな情報を開示する義務が法律で定められている。

「寄付」という言葉は、そういうものをいっさい否定するニュアンスがあるように思う。善意や無償…ある意味美徳ではあるけれど、そういうものが長期的に安定して機能するとは思えないんだよね。公平な評価と情報開示、チェック機能などを持ったシステムが必要。

そういうものを持たないのは、一時の気まぐれでしかない。金の無駄遣い。国民は行政の無駄遣いには敏感なのに、自分の無駄遣いには寛容らしい。

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別にアイドルのファンが関連クッズを買うのは構わない。それはあくまで娯楽であり、別な言葉で言えば自己満足だ。しかし難病の子供の手術代や、教育の支援というのは娯楽ではない。基本的に社会のインフラが行うべきものだ。

ごみのリサイクルで、にわか環境市民グループが行う気まぐれな活動が、もともと地味にそれなりに機能していたリサイクシステムを破壊してしまうことが問題になったこともある。

無償でリサイクル活動をやったら、それを仕事にしている人たちは採算が取れずリサイクルから撤退してしまう。んで代わりに彼らが永久にリサイクル活動をやってくれるならいいが、興味が他に移ると見向きもしなくなってしまう。無償なんだからやめるのも自由というわけだ。後にはリサイクルシステムが破壊された町だけが残る。

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気まぐれでインフラに手を出して、それを破壊してしまうことの恐ろしさを考えるべきだと思うのだよね。カネや人気を集めるのが上手い人たちだけが得をする社会、俺は好きになれない。インフラというのは良くも悪くも、どんなに人気のある人間にも、どんなに嫌われている人間にも、別け隔てなく、平等に均一にサービスされるべきものだ。

そういえばむかしのアニメ(魔法使いサリーだったか)で、こんなエピソードがあった。主人公たちが善意で公園の掃除を手伝おうとしたら、掃除をしていたおばちゃんに、すごい剣幕でホウキを取り上げられた。「私たちの仕事を取り上げる気か!」と。

善意で、無償でやったら、それを仕事にしているおばちゃんたちは、生活ができなくなってしまう。しかもしょせんは気まぐれの善意だからおばちゃんたちが別な仕事に移った後、ずっと主人公たちが公園の掃除をし続けるわけではない。あとには誰も掃除をしなくなった公園が残るのだ。

このアニメを見たのは子供の時だったから、なんとも複雑な感情をもったものだ。しばらく頭が混乱して嫌な気分だった。だって主人公は善意でお手伝いしようとしたのに…。まあそういう世の中の複雑さや葛藤を味わいながら、人は大人になっていくのだろう。最近は綺麗事のマンガやアニメばっかだから、味わい足りていない人が多いんじゃ?(苦笑

追記:上記のエピソードはおそらく「第104話 サリーのお手伝いさん」。ただ実際に確認したわけじゃないのであしからず。これが違ったら、たぶんサリーではなく別のアニメの記憶が、俺の頭の中でごっちゃになってる。子供の頃テレビで見ただけの記憶なので。

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追記:
はてブにも馬鹿なコメントつけてる奴がいるな。誰が田舎と都会のサービスを均一にしろと言ってるのだろう?人気者と嫌われ者で差をつけるな、と言ってるのであって。(田舎と都会の話は他のエントリではそれに類する主張をしているが、このエントリとは別な話。それは当該のエントリでたっぷり説明してある)。まあ、馬鹿には難しすぎる話ではある。サリーちゃんを見て勉強したら?mwsもな(笑

熱いものに触って「熱い!」と手を引っ込める脊髄反射レベルの思考を「考える」ことだと勘違いしている人間が多い。それはまだ全然考えてない。「こいつの言うことなんか変だな?」という段階は「熱い!」と手を引っ込めてるだけの段階なんだよ。

変だと思うなら自分で独自のモデルを構築すべき。他人の思考に矛盾があると感じたなら、自分でそれに代わる矛盾のない思考モデルを構築する試みをすべき。それが考えるということ。その過程で「そうか、あの人はこういうことを言っていたのか」とわかる。

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追記2012-05-27

「変だと思うなら自分で独自のモデルを構築すべき。」まあ、これは同意なんだけど、「モデルはともかく、俺の要求を通せ。モデルの再構築はオマエの仕事」という人の割合がね。

http://twitter.com/REVI/status/206403896518774784

これは上記の俺の文章を違う意味に解釈してるんじゃないのかなぁ。「考える」のは自分のためだ。自分の考える能力を伸ばすためには、自分でモデルを作れという話。他人は関係ないと思うけどね。考える能力を伸ばしたくない人は、文句だけ言ってればいいわけで、彼らが自分では考えず、ただ文句をいう「権利」はあると思うよ?その権利は認めなければならない。

執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。