巨人の球団代表兼GMだった清武氏は、昨年の11月11日に、コーチ人事をめぐって、読売新聞グループの渡邉恒雄氏を告発。その一週間後に解任されました。

 先日、巨人の内部資料流出問題について、「清武氏の可能性が最も高い」という結論を巨人側が発表。それに対して、清武氏は「新たな名誉毀損」と不快感を示すなど、両者の争いは未だに平行線をたどっています。

 そんな清武氏は、解任後に何度も同じ質問を聞いたといいます。それは、「読売巨人軍でやろうとしたことは何だったのか」。

 この問いに対し、清武氏は間違いなく言えることが2つあると、書籍『巨魁』の中で紹介しています。

 「ひとつは、『エース』『四番』と呼ばれる、いわゆるエリートではなくとも、木村(拓也)のように明るく、反骨の気概あふれる選手やコーチを育てたかったということだ。もう一つは、巨人軍を秘密の多い『商店経営』から合理的な経営に改め、チームも近代的な編成に生まれ変わらせることだった。親会社の幹部だけでなく、生え抜きの職員や契約社員が誇りを持てる会社にするということである」(本文より)

 木村拓也さんは、2006年に巨人に加入しました。しかし、巨人軍首脳は「けたぐりのようなトレード」と話しており、当時の木村さんにはあまり期待していませんでした。ところが木村さんは、小さな体で2番を打ち、自身の最高打率を残すなど活躍。リーグ三連覇の原動力の一人となりました。また、時には代理でキャッチャーマスクをかぶることもありました。非エリートのスタートだった木村さんに、清武氏は共感するものがあったといいます。そして、世の中には、一見してそれと気づかない原石のなかにも、磨き上げることで宝石のように輝く人材がいることを木村さんが示したのです。

 清武氏は、球団代表兼GMとして、完成された選手をカネの力で集めるのではなく、木村さんのような人材を集め、育てたいと考えていたそうです。それが、プロ球団の、そして競争の喜びだと。

 そんな清武氏は、2005年に育成選手制度を創設、07年にはイースタンリーグに「チャレンジマッチ」、09年は「シリウスゲーム」を創設し、育成選手や若手の頭角を促しました。また、10年にはベースボール・オペレーション・システムを稼働させ、11年からは三軍にあたる「第二の二軍」を創設しました。

 育成に力を注いだ巨人。その結果、山口、松本、長野、澤村と四年連続で新人王を輩出しました。告発問題は、そんな彼らを指導したコーチを守りたかった。それが清武氏の心中にあったのでしょう。

 「企業社会の犠牲者、そして、声なきサラリーマンやコーチ、選手のためにも、私もまた強情に生きていかなければならない」

 清武氏は、同書のなかでこう当時を振り返っています。



『巨魁』
 著者:清武 英利
 出版社:ワック
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