村上龍が突きつける「絆」が象徴する「この国の問題」

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 東日本大震災直後から、メディアで「絆」という言葉が氾濫したのは記憶に新しいだろう。一時ほどではないにしろ、震災から一年以上経った今でもこの言葉を目にする機会は多い。
 震災は私たちに家族や友人との結びつきの大切さを再認識させ、同時に被災地、被災者のことを忘れず、彼らのために何かしようという気運を高めた。そういった気持ちが「絆」という言葉に集約されている。
 
 しかし、聞こえのいいこの言葉は危うさもはらんでいる。
 作家の村上龍氏は、最新エッセイ『櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。』(ベストセラーズ/刊)のなかで、「絆」について、この言葉の流通と氾濫に違和感を覚えるとしている。
 震災後の日本には解決しなければならない問題が山積している。
 原発事故も本当の意味での収束には程遠く、膨大な量のがれきの県外処理も、受け入れに反対する住民はまだまだ多い。
 重要なのは、これらの問題が、「絆」が象徴している被災地や被災者を思う気持ちだけでは解決できないことだ。メディアがこの言葉を多用することで、そのことが隠ぺいされてしまう危険性があるというのである。
 
 村上氏はこれまでにも、メディアによって作られた「流行語」によって、その裏にある問題の本質が隠されてしまうということを、繰り返し指摘してきた。
 本書でも、同氏は「婚活ブーム」「北朝鮮」「就職難」「貧困」「震災と原発」といった2010年12月から2012年4月にかけて話題となった出来事について、独自の視点と切り口で本質を探り当てている。

 新聞やテレビなどの情報が伝える出来事の裏側で何が起こっているのか、本当の問題はどこにあるのかを考えるためには、メディアそのものについて疑うことが必要となる。
 その意味で、本書からはメディアが不可避的に持つ陥穽を読み取ることができると同時に、メディアが発信する情報から物事の本質を見抜くための、新しい視点を得ることができるはずだ。
(新刊JP編集部)