新独裁者・金正恩第1書記率いる北朝鮮が、暴発へのアクセルを踏み込んだ。テポドンIIの発射が無残な失敗に終わったこともあり、早期の地下核実験に突っ走ることは確実。この号が発売される頃には、既に実施している可能性もある。また、韓国に対する挑発もエスカレートするばかりで「聖戦と報復を起こす」とも宣言した。専門家は「韓国への一斉サイバー攻撃もある」と警告。極東の火薬庫、朝鮮半島は緊張感に包まれている。

 朝鮮半島には、第2次世界大戦末期に引かれた、米軍と旧ソ連軍の分割占領ラインがあります。いわゆる38度線です。朝鮮戦争後の軍事境界線も同様に38度線と呼ばれますが、正確には重なっていません。朝鮮戦争は、この“38度線”を境に「休戦」しているにすぎないのです。
 少なくとも北朝鮮人民は韓国民と違い、ずっと戦争状態にあります。この認識は中国も同じです。私が北朝鮮に居た時代に、「全人民武装化」「全土要塞化」「全軍の幹部化」「全軍近代化」の4大スローガンは達成され、全土要塞化のもとに全国の山という山には弾薬庫や自家発電施設があります。
 こうした全国を要塞化した亡父(金正日)の威光に頼るジョンウン(正恩)が、先軍政治の踏襲を宣言したのですから、この稿が出る頃には3度目の核実験を強行していることも十分にあり得ます。
 私が注目したいのは4月25日に迎えた「朝鮮人民軍創建80周年」前後に行われた人事です。軍創建はキム・イルソン(金日成)が20歳で組織したことになっている「抗日パルチザン」から数えることになっています。パルチザンの第1世代はすでにこの世になく、現在は2世、3世の戦争を知らない時代になっているものの、輝かしい“戦歴”には誰も逆らえません。ごく一部のパルチザンの末裔によって、あの国は動かされているのです。
 祖父の威光を前面に出すジョンウンは、今回パルチザン2世を大抜擢し、軍の要職に就けることで運命共同体の関係を築きました。一方、ジョンウン体制の存続こそが、自分たちの地位や経済的利益につながるのですから、将軍クラスによる無益な軍事クーデターなど起こりえないのです。こうした理由から核とその運搬手段であるミサイル開発を誰もノーと言えるはずもないのです。

 北朝鮮は2006年7月にミサイルを発射した3カ月後、プルトニウムを使った最初の核実験を行った。'09年4月に発射したミサイルの約1カ月後の5月にも、第2次核実験を行っている。2回目の核実験については、実験後に放出されるクリプトンが検出されず、本当に核実験を行ったかどうか疑惑も残るが、今回はプルトニウムではなく、高濃縮ウラン(HEU)を使って第3次核実験を強行するという予測がある。

 11月に大統領選挙を控えている米政権は、対北朝鮮政策は大失敗との烙印を押されたくないため、核実験は絶対に阻止したいはずです。今後、米国が交渉に応じないのであればウラン濃縮を再開して核実験を行うだろうし、交渉に応じるようであればウラン濃縮も核実験もしないでしょう。核カードを対米交渉に切っているわけです。
 核実験により核弾頭の小型化に成功したとすると、すでに日本を射程にとらえているノドンは核ミサイルとなり、日本は重大な脅威にさらされることになります。現在の通常爆薬を搭載したノドンとはケタ違いの脅威です。
 しかも韓国は、核に対抗して、北朝鮮全域を射程内にとらえる巡航ミサイルを配備済みであると発表しました。
 米国は韓国に対し弾道ミサイルの射程距離を300キロ内に制限していますが、これを800キロに延ばすことで米韓は合意したらしいのです。弾頭重量も現行の500キロから増量の可能性もあります。
 父の母国でもある韓国に不信感は持ちたくないのですが、韓国の巡航ミサイルは、北朝鮮だけでなく日本を射程内にとらえたともいえます。日本はロシアと中国の核ミサイルに加えて、ノドンのみならず米軍が日本から完全撤退した場合、軍事同盟を結んでいない韓国だって脅威になりうるのです。

 日本にいる脱北者は約200人。韓国には2万3000人の脱北者がいる。だが、その大半は同胞とはいえ“北朝鮮なまり”があるというだけで職業的差別があり、単純労働者にしかなれないと言われる。日本も脱北者に対して冷たく、韓国をとやかく言えないが、本当のところ北朝鮮は日本をどう見ているのか。

 北朝鮮にはスプンダム(水豊ダム)という日本が朝鮮半島を統治していた頃に造られた巨大ダムがあります。現在でも現役の発電施設であり、日本の技術水準には、大きな信頼と尊敬が寄せられています。私が北朝鮮に居た頃、イルソンやジョンイルが腹の中では、「中国も韓国も日本の円借款などの支援策で今日の繁栄を築いた。何とうらやましいことか。北朝鮮の経済発展のパートナーは日本がもっともふさわしい」と練っていたフシがあります。
 日本としては、もう少し柔軟な発想で対処すべきだと思うこともありますね。

 石川昌司(いしかわ・まさし)氏は、1947年2月16日神奈川県川崎市生まれ。父は在日韓国人、母は日本人である。1960年13歳のときに一家で北朝鮮に渡り、その後36年間北朝鮮に居住していた。
 1996年、金正日体制の圧政に耐えかねて北朝鮮からの脱出を決意する。鴨緑江を越えての決死の脱出に成功し、外務省の保護下、密かに日本に帰国した。
 日本人脱北帰国者第1号である石川氏に、北朝鮮の最新情報を聞く!