佐橋滋の言葉(『官僚たちの夏』の主人公のモデル)

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今回はうさみのりやさんのブログ『うさみのりやのブログ〜旧名:三十路の官僚のブログ〜』から転載させていただきました。

■佐橋滋の言葉(『官僚たちの夏』の主人公のモデル)
僕は官僚としてはベタだけど佐橋滋さんに憧れてます。
佐橋滋ってのは元通産省の次官(役人のトップ)で、城山三郎の『官僚たちの夏』の主人公のモデルにもなった伝説的な官僚です。

今日はその人が書いた自伝『異色官僚』(1967年ダイアモンド社:絶版)からお気に入りのセリフを抜き出していきたいと思います。

立場が変われば言うこともやることも変わってくる、ということがよく言われる。僕にはこのことがわからない。立場が変わってもその人間は同じなんだ、言うこともやることも同じでなければならない。

なんによらず自分勝手に相手を決めてしまってかかるのは愚の骨頂である。事の成る成らない、成果の大小は、いかに相手を信用するかどうか、およびその程度に比例するものである。

正直者にバカを見させてはならない。

重要案件は書類になる前に相談しろ〜(中略)〜書類になったものはいうなれば仕事のカスみたいなもんで、書類の段階でごてごてするのは能率の阻害である。

僕は白紙のような頭と勇気だけで生きている。

自分が最善を尽くしたかと思えば、結果は吉と出ようと凶と出ようと仕方がない。甘んじて運命を享受するしかない。

眠いと世の中は灰色であり、眠くないと世の中はバラ色である。だから僕はよく寝る。

役所のポストは年功序列ではいけない。そのポストにふさわしい人物でなければならない。

一回だけの形式的な試験で人間がわかるはずがない。

何年に入省したからもう課長にしてくるのが当然であると思ったり、なぜ俺をそろそろ部長にしないのだろうなどとうぬぼれるのはいい加減にしろ。何年生だから偉いんじゃないんだ、立派だからそれぞれのポストをやってもらうのだ。〜(中略)〜力があるから特権なんだ。何年採用だから特権があるのではないのだ。誰もが認める力量を示してみろ。

無難とは何か、大過なくとかいうことはいったいなんだ。それは何もしないということだ。人の批判を受けたり、責任を取らされるようなことはしないということだ。

学校の成績は一応のアクセサリーに過ぎない。立派なアクセサリーをもっているからといって人間が立派になるわけではない。

僕に言わせると、なにもしないことはなにもしないのではなくて、悪いことをしているのだと観念すべきである。

われわれはその職責において人間の福祉と社会の発展に寄与しなければならない。

省庁がちがっても我々は同じ公務員であり、同じように国家の仕事に奉仕している。立場はちがっても考える基盤は同じでなければならない。

卑屈になるな。

(IBMに対して)日本政府は日本企業による電子計算機生産を諦めることは絶対にない。

僕は他人からお礼が言われることが大嫌いである。自分で考えていいと思ったことはやるし、良くないと思ったことはやらない。陳情されたからやる、頼まれたからやる、ということはしない。

僕は人を裏切らないのをモットーにしている。いわんや自分の部下をガッカリさせるようなことはどんなことがあってもしない。

もし無条件に丸善石油の申請を許可したら、あなたは生きられるかもしれない。しかし通産省は死んでしまう。通産省が筋違いのことを平気で認めるとなったら、今後誰が通産省の行政を信用するだろうか。これは通産省の死亡と同じことだ。僕は後輩にそんな通産省を引き渡すことはできない。〜中略〜しかし僕は丸善石油を潰そうとか、潰れたほうがいいとかいったことは全然考えていない。どうしたら救えるのか、どうしたら筋を通して救いうるのかを考えているのだ。

現在の日本の民主主義の欠陥はものが定まらないところにある。民主主義はものの定まらない制度ではない。ものを定めないための制度でもない。言うべきを言わしめて正しい意見を定めるための制度である。

自由放任主義でもない統制経済でもない第三の方法、それが官民協調方式である。

行政のために事象が存在するのではなくて、事象を処理するために行政があるのである。社会が複雑になればなるほど行政も分化する。しかし忘れてはならないことは、事象は一体であって分化していないことである。

弱いものいじめというのは性に合わない。やはり無法な強いものをくじかなければ面白くない。

政治家たるもの、政府の責任者たるものは、国民にその進むべき道を明らかにすべきである。変な新語をつくっていい気になっておるべきではない。


(キャリア後輩に対する退任挨拶)
君たちはエリートである。僕の考えではエリート、つまり選ばれた人というのは、自分のことよりも他人のことを、自分のことより全体のことを考える人ということである。諸君は僕の言うエリート精神に徹して、生成変転する経済問題に対処し職務に励んでもらいたい。次にポストは仕事のためにあることを忘れないでほしい。ポストは君たちのためにあるのではない。いわんや出世のための階段のごとく考えるものがあるとすれば、それはとんでもない心得違いというべきである。一つのポストに着いたら、悔いの無いように全身全霊をもってその仕事に当たるべきである。そのポストを死に場所と考えるべきで、次のポストのために力を温存しようなどという考えを少しでも起こすべきではない。僕が次官だからいうのではない。僕自身次官になろうとして次官になったのではない。偶然次官にまでなったに過ぎない。

執筆: この記事はうさみのりやさんのブログ『うさみのりやのブログ〜旧名:三十路の官僚のブログ〜』から転載させていただきました。