しかし、コマが床との摩擦でいずれ倒れてしまうように、スピンもさまざまな摩擦の影響によって、やがて磁界の方向に向いて運動は止まってしまう。

そこで、静磁界と直交するように、スピンの共鳴周波数と同じ周波数で変化する高周波磁界を加えると、エネルギーの供給を受けて定常的に効率の良いスピン歳差運動を持続することができるようになる。

磁石の場合は多数のスピンが集団で揃って歳差運動を行うが、この現象は強磁性共鳴と呼ばれる。

これらの例は磁界による共鳴だが、電圧によってこの運動を制御する方法はこれまで分かっていなかった。

鉄などのごくありふれた金属磁石においては、電圧とスピンの相互作用は期待できないというのがこれまでの常識であったが、磁石を数原子層まで超薄膜化し、絶縁層を介して電圧を加えると、界面に蓄積する電子によって電子軌道の占有状態が変調され、スピンの向きやすい方向(磁気異方性)を制御することが可能であることが近年判明した。

スピンの向きやすさが変わるということは、見かけ上外部から磁界を加えているのと同等の効果が得られることを意味する(有効磁界)。

今回の研究では、超薄膜磁石/絶縁層/対向電極からなる積層構造に対して、超薄膜磁石のスピンの共鳴周波数に一致する高周波電圧を加えて、共鳴運動が起こるかどうかの検討を行った。

具体的には、超薄膜磁石に鉄コバルト合金(FeCo)、絶縁層に酸化マグネシウム(MgO)、対向電極に磁石材料である鉄(Fe)を用いた強磁性トンネル接合素子を作製した。

FeCo層の下部に配置されている金(Au)はFeCo層のスピンを膜面垂直方向に向きやすくさせるために用いたもので、MgOの膜厚を比較的厚く設計することにより、電流がほとんど流れないように工夫が施されている。

この素子に高周波信号発振器から高周波電圧を加えたところ、超薄膜FeCo層のスピンに対して、周期的な有効磁界が膜面垂直方向に働き、その結果、外部から加えた静磁界の周りを回転するように共鳴運動を誘起することに成功した。

図5は観測された共鳴信号の例で、共鳴が生じる周波数は外部磁界強度に依存して変化し、その挙動は理論予測とよく一致することも確認された。

電圧によるスピンの共鳴運動の制御は、磁石材料の種類(金属、酸化物、半導体など)や実験温度に関わらず、世界で初めてであるという。

さらに、超薄膜を用いるというナノ製造技術を利用するだけで、すでにHDDの磁気ヘッドや磁気メモリなどの応用に用いられている代表的な材料および構造において実証に成功した点は重要であり、迅速な応用デバイスへの展開が期待されると研究グループでは説明している。

また、他の研究で用いられている技術(電流磁界型、スピントルク型)と比較した場合、電流磁界型の場合は外部の配線に電流を通電することで発生する磁界を用いるため、磁界が空間的に広がり、ナノスケールの微小素子に磁界を集中して加えることが困難となるほか、スピンと磁界との相互作用が間接的であるため、磁界発生に用いられたエネルギーのほとんどが無駄となり、消費電力が高くなってしまうという課題があった。

一方、スピントルク型の場合、素子に直接通電させることでスピンと電荷の直接的な相互作用を誘起させるため、電流磁界型と比較して高効率で単一素子に集中して共鳴運動を制御することができるものの、電流を用いる限りジュール熱によるエネルギー損失は避けられないという課題があった。

しかし、今回の研究で開発された電圧型では、単一素子へのアクセスが可能であり、かつスピントルク型と比較して約200分の1の低消費電力化が可能であることが確認されたという。