キャリアとノンキャリアの性質の違いについての私的見解

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今回は宇佐美典也さんのブログ『うさみのりやのブログ〜旧名:三十路の官僚のブログ〜』から転載させていただきました。

■キャリアとノンキャリアの性質の違いについての私的見解
今日はキャリアとノンキャリアの違いについて、個人的に思うところです。

この問題はとても難しい問題で一概に「これだ」っていう答えはないと思うので、これを絶対と思わず、あくまで私が一個人として体験的に感じていることを一つの枠組みで説明した程度のものと思ってください。あとここに書かれてることは私の体験に基づくキャリア制度に関する一般論で、経済産業省の政策に関する事項は含まれていないことをはじめに申しおきます。

少々長いですが読んで頂ければ幸甚です。

●1.キャリアとノンキャリ

官庁の職員には一般に“キャリア”と“ノンキャリア”と呼ばれる種別がある。これは入省前に受けた国家公務員試験の区分によるもので“キャリア”は国家公務員第一種試験を合格して採用された職員で、“ノンキャリア”は国家公務員第二種試験または第三種試験を合格して採用された職員を指している。このなかで、第一種試験と第二種試験は大学卒業程度を対象にした試験で、第三種試験は高卒程度を対象とした試験で、また違う観点でも差がある。

入省時に分けられるこの区分は、公務員人生を通じて影響し、一般に“キャリア”は少なくとも本省課長級までエレベータ式で出世しこのなかからさらに上の審議官や局長や事務次官が選抜されるのに対して、“ノンキャリア”はキャリアに比べて出世のスピードが遅く出世頭であっても課長級までで部長・審議官級以上がノンキャリアから輩出さるのはまれだ。

こういうシステムに関して「入省時の試験の差をもってずっと待遇に差を設けるのは非効率的だ」という批判があって、特に一種と二種に関しては同じ大卒ということもあり「大卒に関してはキャリア・ノンキャリアの別をなくして国家公務員を採用し、あとは実力主義によって限られた幹部ポストを大勢の官僚が競い合うといった能力主義制度に転換すべきだ」という批判がよくある。僕はいわゆるキャリアなのですが「こういう批判も一理あるな〜」と入省前から感じていました。でも最近ようやく
「なぜ大卒はキャリアとノンキャリアに分かれて採用されるのか?」
ってことについて頭が整理できてきた気がするのでちょっとまとめてみようと思う。

●2.育成制度としてのキャリアシステム

大卒で入省してから1〜2年目はキャリアとノンキャリアの仕事はほとんど差がなくて、お互い同じような雑務をこなしていくことになる。同じような仕事をして同じような苦しみを味わってるので、1年目〜2年目のころはキャリアもノンキャリも境なく結構同期同士仲良くなる。違いが出てくるのは2年目あたりからで、それは階級というよりもインフォーマルな周りの扱いという面で変わってくる。同じ会議に出ててもキャリアであれば「お前はどう思うんだ」っと意見を求められることになるし、個別の仕事の役割分担でもハードルが高いものが割り当てられることになる。

また精神教育という意味で意外に大事なのが部局内に一人はいるようなノンキャリアの肝っ玉母さんや豪快気質な職人肌のおじさん的なベテラン補佐との肌の付き合いで、「昔はこんな立派な人がいてさ〜」とか「あんたはキャリアのくせになってないわね〜」とかいった感じでキャリアの先輩に関する貴重な昔話やそれを通したダメ出しを通して、「官僚ってのはどうあるべきか」ってことを考えさせてくれる。

3年目くらいなるとポストでも性質の差が出始めて、例えば役職が係長という点では一緒でもノンキャリアは個別の予算プロジェクトや法律の執行など定例業務を中心としたポストにつくのに対して、キャリアは新規政策立案や国会質問への対応など部局の要となるようなポストにつくようになる。実際に階級っていう面でも仕事の中身の面でもキャリアとノンキャリアに明確に差が出始めるのは、4〜5年目くらいからだと思う。

こんな感じで僕が入省してから感じたのはキャリアシステムってのは、「人材育成システムとしての性格が強いんだな」ってことだった。上に書いてあるようなフォーマル・インフォーマル含めたある意味官僚としての王道教育、っていうのを全ての新規入省者に体験させることは難しい(単に人数的な問題で)。そう言う意味じゃ、入省時点で幹部候補を選抜するキャリアシステムっていうのは“人材育成”って観点からある程度妥当性があるんだなと振り返ってみて実感した次第だ。

僕自身入省時点ではいい加減でだらしない奴で仕事の要領も悪かったが、“立場が人間を作る”ってところがあって、いろんな人にしごかれたり期待されたりするなかで、実務的にも精神的にも相当成長させてもらったと思う。

また上にはあまり書かなかったけれど、僕の仕事の強みってのは(自分で言うのもなんだが)異分野にまたがる豊富な人材ネットワークにあると思っているのだけれど、そのネットワークを築く過程で“キャリア”っていう一種のブランドは欠かせないものだった。行政マンから企業の社長・技術者・大学の先生といった省外の有識者が僕が若くてもあってくれたのは“キャリア”っていう肩書きがあったからのことは間違いない。そういう意味じゃ、人材ネットワークや識見を広げるっていう観点でもキャリア制度っていうのは、それなりの意味を持つんだなってことも実感してる次第だ。

●3.そもそもキャリア・ノンキャリにどういう人物の育成が求められているのか?

ってわけでこれまで人材育成システムとしてのキャリアシステムの性格について色々語ってきたけど、そうすると当然
「じゃ、そもそもどういう人間が公務には必要なの?」
って論点にさかのぼって考えることが求められる。これはとても難しい問題で政府の役割ってものは多岐にわたるため100点の答えはないと思うので、ここに書くのはあくまで僕なりの答えに過ぎないことを誤解ないように言っておきたいと思う。

「政府にどういう人間が必要か?」ってことは当然
「そもそも政府っていうのがどうあるべきなのか?」
という問題にさかのぼる。この点についてサブスタンシャルな点については意見が分かれるところだと思うが、形式的な面で言うと以下の2点は誰しもが合意するところだと思う。

1)日本は民主主義に基づく法治国家なので、法律に基づいて行政が行われなければならない(法律による行政
2)だからといって単に既存の法律をいつまでも形式的に当てはめるのではなく、時代に対応して政府も変わっていく必要がある(法律による行政の形式性の打破

1)に関してだけれど言うまでもなく、政府っていうのは強大な権限を握っていて、極端なこと言えば一個人の生殺与奪まで自由にする力がある。こんな強大な権利が好き勝手に使われては困るので、政府は法律に基づいて行政を行うことが求められている。まぁ当たり前の話だ。よく「役所が杓子定規(しゃくしじょうぎ)で頭にくる」っていう話を聞くけれど、それはそれで大切なことなわけだ。
2)に関しても当たり前の話で、時代は常々変化するもので既存の法律をいつまでも変えずにいることは行政の不作為としてそれ自体批判されるべきことだ。ここ20年程度で起きた変化で言うなら例えば、インターネットが登場したのにそれを無視していつまでも郵便をベースに通信行政を行なっているわけにはいかない、ってところだろうか。

この形式性・杓子定(しゃくしじょうぎ)規なところと、時代に対応して新しいものを取り入れる進取の姿勢という、相反した両面が政府には求められることになる。

僕はキャリアとノンキャリアの別というのはこういう政府の役割から生まれてくるものと思っている。

“まず杓子定規(しゃくしじょうぎ)に処理する”っていうことは一聴したら簡単なことに思えるが、これがとても難しい。社会が複雑化する中で膨大な法律や規則が生まれてきており、これらを総合的に把握して処理することはとても難しくなってきている(年金や税制なんかはその典型だ)。
しかしいかに複雑化しようとも政府には法律に基づいて誠実に事務を執行する義務があるわけで、行政にはそれぞれの行政分野で専門家を育成する必要に迫られる。

他方で時代に対応して制度を改変する、っていう観点からは一分野に限らない幅広い視点と調整能力を持ちかつベンチャー気質を持つ人材が求められる。それは時代の変化が往々にして、全く従来予想しなかった複数の要因が交わるところから生じるからだ。例えば直近の課題で言えば、サイバー戦争について論じるには従来の防衛や外交の専門家だけでなくてITセキュリティの専門家も交えて異分野の視点から検討する必要があるし、その両者の議論を収集するには高度な調整能力が求められる。

僕はキャリアとノンキャリアっていうのはこのような行政の背叛(はいはん)する2つの側面をどうやって人事制度という形で具備するか、っていう観点から生まれたものなんじゃないかと思っている。
一般にいえば“行政分野ごとの専門家”としてノンキャリアを育て、“幅広い視点と調整能力を持ちかつベンチャー気質を持つ人材”としてキャリアを育てるという風に運用されているように思える(もちろん両者は一体不可分ではあるが)。

ただこういったキャリア制度もそろそろ制度疲労を起こしていることは間違いなくて、今後“法律による行政”と“法律による行政の形式性の打破”という政府の任務に対する相反する要請にどう応えるか、っていう観点を忘れずにあらたな公務員の育成制度のあり方を検討する必要があるんじゃないかと思う次第だ。

最後に少しだけ僕の公務員改革に関する意見を書くと、やっぱり時代の変化が激しい現代ではそれにあった制度の変革を担当するキャリア官僚には一種の“ベンチャー気質”が欠かせないものとなっていくように思える。だからキャリア官僚を公務員という枠組みで、“安定した職業”として“生涯雇用を原則”に考えるのはもう無理があるんじゃないかな〜と思っている。
他方で行政の専門家としての性質が強いノンキャリアには引き続き、生涯雇用を前提とした枠組みで考えていくことはそれほどおかしいことではないと思う。

執筆: この記事は宇佐美典也さんのブログ『うさみのりやのブログ〜旧名:三十路の官僚のブログ〜』から転載させていただきました。