「アフリカビジネスに参入しようとするなら、この10年が勝負です」と語る石川直貴氏

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 日本企業は出遅れているといわれるアフリカ市場。そんななか、企業の後ろ盾なしに25歳でアフリカに渡り、たった4年で年商300億円の企業グループをつくり上げたのが、『プータロー、アフリカで300億円、稼ぐ!』の著者・石川直貴氏。29歳にして“アフリカで最も活躍する日本人”となった彼に、アフリカビジネスの今を聞いた。

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――“年商300億円の社長”の割に、着ている服は普通ですね(笑)。

 お金持ちだと知られると、向こうでは危険なんですよ。あと、衣類の生地も商品として扱っているので、店頭で服を見ると原価がわかっちゃう。だから、あまり高級品を買う気が起きないんです。

――自動車の輸出業でアフリカに進出したそうですね。今はどんな事業を行なっているのですか。

 ミネラルウオーターの製造・販売や不動産、ホテルやカジノの経営、金の採掘など、西部アフリカ全体で41社の経営に携わっています。

――アフリカといえば、有望な市場なのに日本企業は食い込めていない、とよくいわれます。

 日本の企業が本腰を入れて参入する場合、「売り上げは最低でもこれくらい欲しい」という規模があると思うんです。しかし、アフリカでそれを実現するのは難しい。僕もバイクタクシーの会社を持っているんですが、250ccバイクは1台8万円で買えます。その程度の投資金額なので収益も少ないんですね。ビジネスとして面白くない。

 しかし、ひとつの地域の運転手が100人くらいになると、運転手の家族や親を含めれば、僕のビジネスに関わる人は400、500という人数になってくる。それくらいの人がいれば、選挙で政治家をひとり選べるようになるんですよ。すると、公共事業などで政治家に顔が利くようになるので、タクシーでもうけなくても収益を上げられるようになるわけです。

――「これからは、1日1ドルで生活するような人に向けて物を売っていかなきゃダメだ」なんて言われていますが……。

 日本の会社は、その方向では戦えないでしょう。あまりにも人件費が高すぎます。それから、日本企業は初めから体裁を整えたがる傾向がありますね。いきなり大きな店舗を構えたり、駐在する日本人社員のためにセキュリティのしっかりしたマンションを用意したり。僕は初期投資は少なくすべきだと思います。当初の想定とまったく違ったことがどんどん起きるのがアフリカです。フットワークは軽いほうがいい。

――社員のセキュリティにお金をかけるのも問題ですか?

 いいところを拠点にすると逆に危険なんです。数ヵ月前、タンザニアで日本企業のオフィスが何者かに襲われたのですが、その企業はセキュリティもしっかりした所にあった。タンザニアにある僕の会社のオフィスは、ガイドブックに国内で最も危険だと書かれた路地にありますよ。

 僕らはスラムの住民たちを雇用し、彼らに向けてビジネスをしています。そうして彼らと一緒に暮らしていると、誰が今お金に困っていて何をしでかすかわからない、という情報が実際に入ってくる。スラムの住民たちも、僕らに何かあると自分たちの雇用がなくなってしまうから、僕らを守ってくれる。

――そうはいっても、危険がなくなるわけではありませんね。

 僕自身、冗談抜きで何度か死にかけていますから、気軽に「アフリカはもうかるから来い」とは言えませんね。しかし、今後、アフリカは中国やインドを超える巨大市場になりますよ。僕が見る限り、日本人がアフリカビジネスに参入しようとするなら、この10年が勝負です。それ以降は難しくなるでしょう。この本を読んで、チャンスに気づいてもらえたらうれしいです。

●石川直貴(いしかわ・なおき)
1981年生まれ、沖縄県出身。高校卒業後に留学した韓国の大学在学中からアフリカビジネスを始める。大学卒業後、1年間のフリーター生活を経て、本腰を入れて参入。現在は41のアフリカ企業の経営に携わる。アフリカ進出を目指す大企業からのコンサルタント依頼も多い。

『プータロー、アフリカで300億円、稼ぐ!』(マガジンハウス 1365円)
留学先の韓国で、アフリカへの中古車輸出ビジネスがもうかると知り、在学中に5000万円稼いだ石川氏は、その後、本格的にアフリカビジネスに乗り出す。一時は残金4万円まで落ち込みながらも、4年でグループ年商300億円にまで育て上げた若者の半生記。

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