真弓明信氏


現在、『野球小僧』誌において、
「太平洋・クラウンライターライオンズ」時代の
連載原稿を書かせてもらっている。

70年生まれの僕にとって、73年から76年まで存続した
「太平洋ライオンズ」の記憶は、ほとんどない。

しかし、「太平洋」の後の「クラウンライターライオンズ」は、
77年から78年のわずか2年間にも関わらず、妙に印象深い。

当時、僕は7歳から8際の時期。
プロ野球に熱狂し始めるのは、その数年後のことだ。
なのに、なぜか妙に印象に残っているのだ。

時折り見ていた『プロ野球ニュース』の影響なのか、
カルビーの「プロ野球チップス」のオマケカードの影響なのか、
それとも後天的に得た記憶を、当時のものと錯覚しているのか、
あのクラウンライターのド派手なユニフォームが強烈に残っている。

竹之内雅史氏 (2)


太平洋・クラウンの所属選手たちはみな個性的だ。
これまで、話を聞いたのは、

土井正博、日野茂、基満男、真弓明信、竹之内雅史

そして、球団代表の坂井保之氏の全6名。
もちろん、まだまだ話を聞きたい選手は大勢いるし、
一度聞いた人にも、再び話を聞く必要性も出てくるだろう。

東尾修、白仁天、若菜嘉晴、東田正義、立花義家、
伊原春樹、立花義家、古賀正明、倉持明……


彼らの中で、太平洋・クラウンの6年間はどんな意味を持ち、
現在では、どんな思い出となっているのだろう?

基満男氏


昨年末、基満男に話を聞いた。

「黒い霧事件」への関与を疑われた際の話になり、
かつてのチームメイト・竹之内雅史のことを、

「あいつのことはキライだ」と言い放った。

先日、竹之内に会い、そのことを伝えた。

「あいつなら言いかねないな」と苦笑いを浮かべた。

さらに、江藤慎一監督と、試合中にベンチ裏で殴り合ったとされる
エピソードについて竹之内に話を聞いた。

「さすがにオレだって、目上の人は殴らないよ」と笑ったものの、

すぐに殴り合いに近い「衝突」のエピソードを教えてくれた。
その際に竹之内は短く、しかし強く言った。

「気が強くなかったら、できねぇよ、こんな商売!」

そのひと言は、実にカッコよかった。

真弓明信にも話を聞いた。

「黒い霧事件」で球界を去った池永正明と真弓には
直接の接点はない……はずだった。

真弓が入団1年目。
球団関係者からこう言われたという。

「池永の店にはなるべく行かないように」

当時、池永は博多で「ドーベル」というスナックを開いていた。
その当時のことを振り返って真弓は言った。

「でも、行ったけどね、オレ、池永さんの店に」

中学時代にたったの一度だけ、
真弓は平和台球場でライオンズ戦を生で見ている。
その際にブルペンで見た池永の投球に魅了されていた。


「直接の面識はなかったけど、池永さんのことは
ライオンズの先輩だと思っていたから……」


真弓の言葉もまた、カッコよかった。

ここまで出会った人々は、みな男くさい人物ばかりだった。
男くさい人物たちが織りなす6年間の物語。

本当に金がなく、「貧乏球団」のそしりを受けつつ、
それでも野球を続けた男たちの話はとても濃い。

現在、取材を続行中。
一段落したら、ぜひ全面書き直して、一冊にしたい。
何年後になるかはわからない。けれども、絶対に形にしたい。