ヤマトンチュの仏たちを信じて

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日本でお寺の数が最も少ない県は、沖縄県。滋賀県や京都府、東京都、愛知県、大阪府などは3000か寺以上もあるが、沖縄は25か寺。沖縄という地域は、長く日本と中国をともに宗主国としていただき、朝貢外交をしていた。両方の文化が入りまじり、さらにニライカナイ信仰と呼ばれる独自の神道を信仰していた。琉球神道と日本神道の類似性はあるようだが、日本が大陸からもたらされた仏教を信仰し、広がる過程には沖縄は含まれていない。仏教信仰は、はるかに後年になって日本からもたらされたものだ。
写真のお寺は、那覇市の神徳寺(真言宗)。安里の高層住宅が建て込んだ町にある。一見、入母屋造のお寺のように見えるが、瓦にも柱にも朱が塗られている。これはおそらく首里城の建物を模したものだろう。日本各地のお寺も、その地域の大寺や代表的な建物の形式を真似ることがしばしばある。
この神徳寺、比較的広い敷地に立っているのだが、他の地域ならある仏像や石塔などはほとんどない。人気もなく、ひっそりとたたずんでいる。何というか、空気が違うんですね。お寺というよりは、何か教会にいるような。境内には沖縄独特の屋形墓の形式の供養塔も建っている。



さて、沖縄に浄土宗をもたらしたのは江戸時代前期の僧、袋中(1552-1639)だ。袋中は、民で仏教を学ぶために、明への船が出る琉球にわたったのだが、ついに明に行くことはできなかった。しかし、琉球で浄土宗を布教した。
琉球にはすでに臨済宗や真言宗が伝わっていたが、「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで成仏できるという浄土宗は大衆に受け入れられたのだ。
その袋中の教えを今に伝えるのが小禄にある袋中寺。



近代建築の家屋だが、屋根だけはやはり首里城を思わせる赤い瓦葺き。手前の鐘楼にぶら下がっている鐘は、滋賀県のお寺が寄進したという。
袋中は布教のために念仏踊りをしたが、これがエイサーになったとも言われている。
さて、那覇の街を歩いていて「ここは日本じゃないな」と思うのは、黒い瓦屋根の日本家屋が全くないこと。戦争で沖縄は焦土と化したが、それ以前から日本家屋はほとんどなかった。だから、ひなびた風情の純日本風の地味寺もない。
町に息づく地味寺のスタイルも、他の地方とは全く違う。
那覇市の新しい中心街になりつつある「おもろまち」に近い古島にある大安寺。



まるで歯医者さんか何かのような風情だが、墨文字でしっかりと寺名が記されているので人は間違わない。この寺も、町の日常に溶け込んで一緒に生活している。
かなりの繁華街なのだが、寺の後ろは墓地になっている。その墓地が日本の他の地方とは全く違う。
屋形墓や亀甲墓など、沖縄独特の巨大な墓が並んでいる。これは風葬の風習があった琉球の文化を引き継いでいる。しかし、これらの墓は真言宗の大安寺が管理している。こういう宗教の融合は、日本的な風景ではある。
沖縄では地味寺の概念も揺らぎがちだ。「あるべき寺」の姿がぶれている。ベクトルがないから派手も地味も定義しづらいのだ。
首里城に隣接して円覚寺という巨大な寺院があった。室町時代にできたこの寺は禅宗寺院の七堂伽藍の形式を整えた立派なお寺だったようだが、太平洋戦争で灰燼に帰した。見たかったなと思う。今は小さな門が一つあるだけだ。ひっそり立っているたたずまいは、まさに「地味寺」。



屋根の下の組物の精緻な塗り分けに、往時の琉球仏教の隆盛を知ることが出来る。


今回の地味寺はちょっとイレギュラーでした。