かつて甲子園を席巻した2人の超高校級球児は「運命のドラフト」を境に人生が一変。それが球界屈指のスター「KKコンビ」を引き裂く因縁の始まりだった。あれから30年近くが経過した今、初めてのCM共演で、2人はにこやかに握手を交わした。だがその腹の内には、いまだ消えることのない憎しみと嫌悪が渦巻いている――。
 3月26日の記者会見。2人の大物が顔をそろえた。

「なかなかお互い忙しくて会えなかったものですから、純粋に会えるんだなと思うとうれしかった」

 桑田真澄氏(44)がこう感想を述べると、清原和博氏(44)も、「こういう形でCMに出られるのは、思い出に残る出来事。照れくさかったですね」

 そして2人は、にこやかに握手を交わした――。

 プロ野球開幕に合わせた「スカパー!プロ野球」の新CMで、両者は初共演。会うのはおよそ4年ぶりだった。

 「その間の2人は、ほぼ没交渉。CM会見での笑顔とコメントは、ビジネスとして、大人の対応を見せたまでです。本心は別にありますから」

 スポーツ紙デスクはこう話すが、球史に残る稀代のスター「KKコンビ」が実は不仲であることは、球界では知らない者はいないほど、公然の事実と化している。「原点はもちろん、あの85年のドラフト会議ですよ」

 渋い顔で回想するのは、NPB(日本プロ野球組織)関係者である。

 PL学園で甲子園に出場、数々の記録を残した清原氏は巨人入りを熱望し、巨人からも挨拶を受けていた。一方の桑田氏はプロ入りを拒否し、早稲田大学への進学を表明。どの球団も指名は回避するものと思われた。ところが蓋を開けてみれば、巨人は清原氏ではなく、桑田氏を単独で1位指名。清原氏は南海、日本ハム、近鉄、阪神、中日、西武の6球団が競合し、抽選で西武が交渉権を獲得した。失意の清原氏の、涙の記者会見を記憶している野球ファンは多いだろう。この「運命のドラフト」で裏切られた清原氏は、巨人と桑田氏への憎悪を募らせ、西武で見返す決意をしたのだった。前出・NPB関係者は言う。

「あれはやはり、大学進学発言を利用した、桑田氏と巨人の出来レースでしょうね。桑田氏はかつて、『キヨに悪いことをした』と漏らしたことがあります。が、正式には詫びていない」

 清原氏はこのドラフトの一件を、著書「男道」(幻冬舎)でこう記している。

〈桑田はなぜそのことを僕に黙っていたのだろう。ジャイアンツが志望なら、なぜ自分もジャイアンツに行きたいと、僕に言ってくれなかったのか。(中略)この俺に嘘をついてでも、ジャイアンツに入りたかったのか。(中略)僕はあの時、桑田を憎んでいた〉

〈桑田に対する当時の感情を、一言で説明するのは難しい。あのドラフト会議の日から、昔のように話せなくなったのは事実だ〉