■今日(4月2日)行われた準決勝第2試合は、光星学院高が関東一高をスコア6−1で降し決勝にコマを進めた。

光星学院は4回、一死から3番の田村龍弘が、醍醐駿平のカーブを捉え左翼席に運ぶソロ本塁打。さらに中前打と四球で一・二塁とし、準々決勝でランニング3ランの大杉諒暢が左前適時打で、2点を先制した。
8回、準々決勝に続いて先発した背番号4の城間竜兵が一死二・三塁のピンチを招いたが、5番・伊藤大貴の右飛でタッチアップを狙った三塁走者を、右翼の天久翔斗が本塁へノーバン返球しタッチアウト。ピンチを救った。
(サンケイスポーツ)

光星学院高は、明日16:00から大阪桐蔭高と決勝を戦う。
さて、9度目の正直で「白河越え」を果たせるか?
岩手・花巻出身のボクは、その点に興味がある。


■過去、「白河越え」を果たせなかった東北各校の決勝戦績。

2011年までの東北勢の戦績(決勝)
No開催年大会学校結果相手校
11915年夏・第1回秋田中(秋田)準優勝1-2京都二中(京都)
21969年夏・第51回三沢高(青森)準優勝0-0(延長18回引分)2-4(再試合)松山商高(愛媛)
31971年夏・第53回磐城高(福島)準優勝0-1桐蔭学園高(神奈川)
41989年夏・第71回仙台育英高(宮城)準優勝0-2帝京高(東東京)
52001年春・第73回仙台育英高(宮城)準優勝6-7常総学院高(茨城)
62003年夏・第85回東北高(宮城)準優勝2-4常総学院高(茨城)
72009年春・第81回花巻東高(岩手)準優勝0-1清峰高(長崎)
82011年夏・第93回光星学院高(青森)準優勝0-11日大三高(西東京)

《解説》
No.1 秋田中
決勝は京都二中と対戦、スコア1−1で延長戦となり、13回裏にサヨナラ負けを喫した。エースは長崎広(後に明治大)。ただ第1回大会だったため、秋田中自ら県内で予選を開催して勝ち抜き、東北代表として出場した経緯がある。当時全国でも屈指の実力があるといわれた盛岡中などの岩手県勢に連絡がいかなかったことから、後々まで物議を醸した。

No.2 三沢高
あの伝説の決勝戦。太田幸司(後に近鉄)と松山商高・井上明(後に明治大)の投げ合いは果てしなく続いた。三沢は延長15回、16回と満塁機を惜しくも逃して得点できない。出鼻はやや調子の上がらない気配だった太田も回を追うごとに持ち前の速球が唸りを上げ、特に延長に入ってからは相手にチャンスすら与えなかった。4時間16分後、規定により延長18回引分け。翌日の再試合も太田が再びひとりで投げ抜いたが、投手が二枚いる松山商高に敗れた。

No.3 磐城高
「小さな大投手」と呼ばれた田村隆寿(後に日本大)は3試合連続完封で決勝に進み、桐蔭学園高に甲子園で初失点(34イニング目)、0−1で敗退した。この年の4月、常磐炭鉱の大部分が閉山となり、田村をはじめ多くの選手が離職者の家庭。錆びれ行く炭鉱の町の期待を一身に背負っての甲子園出場だった。

No.4 仙台育英高
エースは大越基(後に早稲田大-ホークスなど)。準々決勝はセンバツで敗退した上宮高
の4番・元木大介(後に読売)を封じ込めてリベンジした。準決勝は宮地克彦(後にホークスなど)や谷佳知(現・読売)のいる尽誠学園高と対戦、10回表に大越自らタイムリーを放ち、仙台育英が接戦を制した。決勝はエース・吉岡雄二(後に近鉄ほか)を擁する帝京高に惜しくもスコア0−2で敗退した。その後、何の縁か吉岡が仙台・楽天に移籍したが、仙台市民は温かく吉岡を迎えたという。

No.5 仙台育英高
後に早稲田大に進む芳賀崇がエース。常総学院高との決勝は両チーム合わせて28安打が飛び交う乱打戦になった。最後は相手打線を上回る16安打を放った常総学院が仙台育英を退け、初優勝を飾った。
※同じ宮城からは東北高も出場、エースは高井雄平(現・ヤクルト)だった。野間口貴彦(現・読売)を擁する関西創価高との対戦カードが注目を浴びたが、勝ったのは野間口。

No.6 東北高
エースはダルビッシュ有(後に日本ハムほか)。2点差を追う常総学院高は4回、坂克彦(後に楽天ほか)の二塁打などで3点を奪い逆転。8回にも坂の左前安打を皮切りに1点を追加して勝利を決めた。この大会で勇退を表明していたこと木内幸男監督は高々と宙に舞った。一方のダルビッシュは124球の熱投を見せたが、被安打12、失点4で敗戦。試合後、大粒の涙を流した。

No.7 花巻東高
エースは菊池雄星(現・西武)。初戦の鵡川高戦では最速152km/hを記録、9回一死まで無安打の投球で2安打完封。2回戦の明豊高戦では9安打を浴びたが2試合連続の完封。準々決勝・南陽工高戦ではビハインドの状況でリリーフ登板、4回無失点で逆転勝利。準決勝・利府戦では2点本塁打を浴び初失点を喫したが5安打2失点完投。決勝では、清峰高の今村猛(現・広島)との投手戦になるも0対1で敗れ、岩手県勢初の優勝はならなかった。菊池だけでなく佐藤涼平(後に日体大、故人)ら脇役たちの活躍も忘れられない。
※それから1年半後の2010年8月18日、今村のプロデビュー戦。花巻市出身のヤクルト・畠山和洋(出身高は専大北上高)が今村から満塁本塁打を放ち、「花巻東高のリベンジを果たした!」と叫んだ人がいた・・・それは私です。

No.8 光星学院高
エースは秋田教良(現・三菱重工広島)。畔上翔(現・法政大)、横尾俊建(現・慶應義塾大)、高山俊(現・明治大)ら強力打線の日大三高に12安打を浴び、スコア0−11で大敗した。主軸の川上竜平(現・ヤクルト)、田村龍弘北條史也(どちらも現3年)らの光星学院打線は、日大三のエース・吉永健太朗(現・早稲田大)に散発5安打に抑えられた。

(参考資料)
・wikipedia
・『高校野球 甲子園全出場校大事典』(森岡浩編、東京堂出版)
・『プロ野球選手の甲子園伝説』(宝島社)
・『高校野球 忘れじのヒーロー』(ベースボールマガジン社)
・『あま野球日記@大学野球』