これは2つのことについて書かれた本だ。
 1つは、はっきりとした形を持たない断片の集合体が、複数回の化学変化を経て、表情さえ伴ったイメージへと成長していく過程である。多くの人の意志が、その中では触媒として作用している。どの過程、どの作用が欠けても、現在知られている形のイメージには結節しなかったはずだ、という思いが著者にはある。全てを! 全てを! という追求の叫びが横溢した本なのだ。
 もう1つは、絶え間なく進んでいく時の流れの中で、ある一時期だけを切り取りたい、という熱望である。その特定の期間に起きた魔法の正体を知りたくて、著者は時間の流れを遡るという冒険行に出かけたのだ。まるでピラミッドの起源を知りたくてエジプト王朝の遺跡を次々に発掘していく考古学者のようである。
 そんなことを考えながら、興味深く読み終えた。
 加藤レイズナ『プリキュアシンドローム 〈プリキュア5〉の魂を生んだ25人』である。

 いわゆる〈プリキュア〉シリーズは、就学前から小学校低学年までの女子を対象にした作品であり、2004年から現在まで放映が続いている長寿アニメーションだ。第1作「ふたりはプリキュア」が1年間放映されたあと、第2作「ふたりはプリキュア Max Heart」、第3作「ふたりはプリキュア Splash Star」と続いていく。第1作と第2作は美墨なぎさ・雪城ほのかというヒロインが共通しているが、第3作ではヒロイン2人という基本設定のみが継承されて他のすべてが切り替わるという変更が行われる。過去の女児向けアニメであった、同一のヒロインが複数シリーズで主役を張っていくという定型を第3作で捨てたのだ。さらに第4作「Yes! プリキュア5」ではシリーズ最大の変更が行われる。それまで2人だったプリキュアが、5人のチームになったのだ。同作の主人公たちは続く第5作「Yes! プリキュア5 Go! Go!」にも引き続き登場するが、第6作「フレッシュプリキュア!」では三度設定の変更が行われる。
 ......というような知識は、後付で今知ったものだということを告白しておく。私は第2作「Max Heart」までしかこの作品をちゃんと観ていないからだ。だから『プリキュアシンドローム!』という本が、シリーズ全体を俯瞰したものではなく、第4・5作の『プリキュア5』だけを採り上げた本であるということにも、加藤の「はじめに」を読んで初めて気付いた(ファンなら表紙を見ただけでわかるだろう)。すまん、しろうとで。

 この本の、現在進行形のアニメーション・シリーズの途中だけを切り取るという不思議な形式は、偶然の符合から生まれている。病膏肓に入ったプリキュア・マニアである加藤レイズナにとって、「プリキュア5」が特別な思いいれのある作品であったこと。第1作から製作に携わってきた東映のプロデューサー、鷲尾天に「プリキュア5」はシリーズの転換点であったかもしれないという思いがあり、インタビューでそれを加藤に話したこと。その2つが加藤に「プリキュア5」本を作らなければいけない、という天啓をもたらしたのだ。天啓? いや思い込みだ。だが歴史は常に思い込みから作られていく。
 本の副題が示すように、本書にはさまざまな役割を担ったスタッフとプリキュアたちを演じた6人の声優が登場している。各人の言葉の中で印象的なのはプロデューサーとしての鷲尾の果たした役割についてのものだ。プリキュアを5人のチームにするという設定の土台を作ったのは鷲尾なのである。鷲尾がプリキュア5人のチームを構想したとき、もっとも参考にしたのは吉田聡の青春漫画『湘南爆走族』だという。「チームだけど組織じゃない」5人の関係性が魅力的なものに感じられたのだ。鷲尾が源流として挙げた作品は他にもあるが、〈湘爆〉についての言及は本書の随所に見られる。
 第1・2作でシリーズディレクターを務めた西尾大介は、作品をヒットさせてシリーズの礎を作った功労者だが、第3作以降でスタッフから外れているので本書には登場しない。ただし、その西尾の「いやな映像にしない」という理念は鷲尾によって次作以降にも引き継がれ、スタッフにも徹底されている。たとえばプリキュアたちが大人に対しては常に敬語で話すこと、腹部を殴るような攻撃を描かないこと、スカートの下にはスパッツをはかせてセクシャルな要素をなるべく意識させないようにすること、などがそれである。
 こうした舵取りや外枠作りを主導したのは鷲尾なのだ。本書の構成も、鷲尾のインタビューに始まって鷲尾で終わる形になっている。鷲尾によって準備された「プリキュア5」というパズルを加藤が解いた形だ。その意味では古参のファン、加藤と同等かそれ以上の濃いマニアの目には、本書は既存の情報を単に寄せ集めただけの一冊と映る可能性がある(筆者には、そこが判断できない)。だが、それはそれでかまわない。

 プリキュアのしろうとである私が本書をおもしろく読めたのは、冒頭に書いたような興趣を感じたからである。
----「プリキュア5」が今知られているような形になっていった過程を全部知りたい。
----自分がなぜ「プリキュア5」にあんなに惹かれたのかを知りたい。
 そうした渇望の主は、他ならぬ著者・加藤レイズナだ。つまるところ『プリキュアシンドローム』とは、1ファンである加藤が、心の中で大きな容積を占めている「プリキュア」が、自分にとって何であったのかをインタビューによって確かめていく本だと言ってよい。中途に挿入されている「加藤メモ」には1ファンに過ぎない自分が著者になっていくことへの不安、逡巡が綴られている。これを残したのは編集者の見識だ。愛するものと渾然一体になっているとき、その対象の全貌は見えない。無理矢理にでも自分から引き剥がさなければいけないのだ。当然痛みを伴う。その苦しみをもまた、本の中に取りこんでいるのだ(え、無理に引き剥がしたら可哀相だって? 何言ってるの。離れたらまたくっつけばいいじゃない。それが愛だよ)。
 そうした構成をとったからこそ、本書は「プリキュア5」とは無関係な人の読書にも耐えうる内容となった。何かのファンである人ならば誰でも、本書を興味深く読むことができるはずだ。

(杉江松恋)







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