東京ドームにおいて、彼の存在感は別格だ。彼はそこの上の方、巨大なライト設備とケーブルが這っている屋根の近くにいて、彼の国で一番大きな街の、最も大きな球場の全ての投球と打席を見ている。

その男の名前はイチロー・スズキ、その超有名人のファーストネームはどこでも知られていて、笑顔の彼はレフトの観客席の上にある大きなキリンビールの看板で冷えたジョッキを手に持っている。彼はシアトル・マリナーズとオークランド・アスレチックスが対戦する2試合の開幕シリーズのために、故郷の国に帰ってきた。38才の彼は、メジャーリーグキャリアでもっとも残念なシーズンを過ごしたにも関わらず、変わりないオーラを放っている。

マリナーズが金曜日の夕方に東京の成田空港に到着して以来、イチローはちゃんとした理由があって、日本の人々に対する特別な愛情を見せている。それらは野球選手としての彼を超えたものだ。

'Ichimeter' on the road in Japan 

イチローは2001年にメジャーリーグ・ベースボールそしてマリナーズに来てすぐに、アメリカンリーグタイ記録の116勝をしたチームのリードオフのライト選手として、アメリカンリーグMVPそしてルーキ・オブ・ザ・イヤー、ゴールドグラブを獲得し、彼の伝説は日本で育って行った。

彼がジョージ・シスラーの83年前のシーズン最多安打記録、257安打を破り262安打を記録した時にそれは成長した。'09年、彼が日本のワールドベースボールクラシックで勝利を決めるヒットを打った時、それは成長した。そして'10年、彼は10シーズン連続で200本安打を打った時、それは更に成長した。

それらの全ては、日本において他の追随を許さないスポーツと文化の象徴となった。

「彼は国民的な自尊心の大きな後押しをした」ロバート・ホワイティングはMLB.comにemailで言った。アメリカ人の彼は、40年の及ぶ日本野球のエキスパートで有名な2冊の本You Gotta Have Wa和をもって日本となす)とThe Meaning of Ichiroイチロー革命)の著者である。

「この国は2001年にMVPを取った時に熱狂し、彼がシスラーの記録を抜いた時もそうなり、10年連続で200本打った時もそうだった。彼は日本人選手がMLBでもベストなプレーができることを証明し、それが大きな誇りの源になった。彼は日本が持っていた世界的な存在感についてのコンプレックスを、消し去ることに貢献した。彼はアメリカで、最初の日本文化の象徴になった」

「ほとんどのアメリカ人は、日本の首相の名前や天皇陛下、その国で一番の歌手の名前を言うことができないが、イチローは誰でも知っている。彼はレギュラー選手としての成功のドアを開いた。もしイチローが失敗していたら、私はヒデキ・マツイはアメリカに行っていなかっただろうと思う。その成功によって、イチローはマツイが読売ジャイアンツから離れずに弱虫と呼ばれるリスクにプレッシャーをかけた」

「(日本人映画監督のアキラ・)クロサワが芸術家だとみんな知っているが、イチローは大衆に馴染みのなかった日本人の顔を見せた。それは日本の財産になった」

そして今、彼は国に帰ってきた。

マリナーズは2003年に開幕戦を日本で行う予定だった。しかしアメリカ軍のイラク侵攻により遠征に懸念が発生し、それは中止になった。今、イチローと日本のファンはお互いの存在を大いに楽しんでいる。

彼が打席に入れば多くのフラッシュが光り、彼がそれぞれの投球に対しバッティングの動作をすると、東京ドームに集まったファンは、声を上げる。彼の写真が入った広告は、街中に溢れかえっている。彼はTVコマーシャルそして、チームが滞在しているホテルのロビーにある広告にさえいる。

「彼は明らかにシンボルで、日本で一番有名な人の一人だ・・・、スポーツ選手だけでなくてね」マリナーズのエリック・ウエッジ監督は言った。「彼が成し遂げてきたことは、とても尊敬されている。その彼が12年ぶりに帰ってきた。彼にとって素晴らしい機会で、ファンにとっても素晴らしい機会だ」

アメリカのフリーランスTVプロデューサーでライターのブラッド・レフトンは、日本とアメリカで20年に渡って野球の取材をしている。 彼はマリナーズ選手としてのイチローが日本に帰ってくることは、長いこと待たれていた特別なことだ。それは彼が、12年に渡ってメジャーリーグで活躍してきたからだと言った。

「彼らが見る2012年のイチローは、2003年に彼らが見るはずだったイチローとは多くの違いがある」レフトンは言った。「その時の彼は、まだ完全な存在ではなかった。それは262安打の前で、10年連続200本安打前だった。だから完全に開花したイチローを見ることができるのは、よりエキサイティングなことだが、彼らはそれを見るのに長い間待たされた」

それは多くのことに、待っただけの価値をもたらした。例えば、ファンが東京ドームの入り口をくぐれば、彼らはユニフォームや帽子、ミニチュアのバットが売っている売店を目にすることができる。そこにはまた、シアトル在住のマリナーズファン、エイミー・フランツが作った”イチメーター”のミニチュアが置いてある。彼女はお気に入りのライト選手が2004年に記録を破って以来、彼女が個人的に作ったヒットカウンターをセーフコ・フィールドに掲げている。

そしてイチローのグラウンド上の功績を追うユニークなやり方の結果、彼女は日本でマリナーズの試合を中継しているNHKのインタビューをシアトルで受けて、彼女は日本でも少し有名になった。

多くのファンが月曜日のマリナーズ対読売ジャイアンツのオープン戦の間に、彼女と写真に収まった。そして彼女はミニイチメーターが売っているのを目にしたといった。彼女はそのひとつにサインをせがまれた。

「セーフコに来るファンの数から、私は彼が日本でとても大な存在だって知っていたわ。イチローのお土産や関連製品、記念品、広告みたいなものを買って帰るの」フランツは言った。「彼は有名で、ビッグな存在よ」

イチローもまた、それが解っている。彼は球場でファンと交流する。試合前にボールを投げ入れたり、サインをする時間を作る。

「彼は本当に楽しんでいると思う」イチローがアメリカに行った11年前から彼を取材しているサンケイスポーツのマリナーズ担当記者マサ・ミワは言った。「彼は長い間、この時を待っていた、2003年からね。広告やTV、彼はどこにでもいる。みんなは彼が戻ってきたことに本当に興奮している」

水曜日と木曜日にここで行われるアスレチックスとの2試合のレギュラーシーズンの開幕戦の前であっても、ソフトな口調の彼は、それが意味することのすべてが解っているようだ。

「ぼくたちにとって重要なこと。だって僕の人生でおそらく一回だけのことだから」彼は通訳のアントニー・スズキを通して言った。「僕たちに、こういった機会は無かった。2003年にチャンスがあったけど、ここに来ることは出来なかった。だから今回は特別。これは重要だし、僕はそれを楽しみにしている」

参考記事:Back home, Ichiro's presence looms large Back home, Ichiro's presence looms large
http://seattle.mariners.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20120326&content_id=27615994&vkey=news_sea&c_id=sea