「普通の人」たちは震災後にどう変わった?、吉本隆明さんの思想はすでに「死んで」いた!? 【文春vs新潮 vol.35】

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[文春]週刊文春の「東日本大震災、原発事故 私はこう変わった!」という記事は、全国の2000人にアンケートをおこない、その結果をまとめたものだ。マスコミでは、被災者の声が多く伝えられてきた。では、「普通の人」たちは震災や原発事故からどのような影響を受けたのか。

冒頭で紹介されているのは、家族とのかかわりを見直した人々。「家族との時間が大切に思えてきた」というのは、「普通の人」も被災者も変わりのないことであろう。家族に高齢者がいる場合、施設から家に連れ戻したり、移住したりする例もあるようだ。また、震災を契機にスピード婚をする、いわゆる「震災婚」をした人もいる。

「普通の人」たちの防災意識も高まっている。水や非常食、ラジオなどを入れた非常持ち出し袋を準備する人。太陽光発電を導入する人。アマチュア無線機を所持する人……。食の問題については、積極的に東北の産品を買う人と買わない人とで、対応が真っ二つに分かれている。買わない人たちには、「風評被害を助長すると批判されても、身を守りたいという本能がうかがえる」と記事は解説する。

「持ち家か賃貸か」という問題については、「マイホームはいざというときに邪魔になると実感し」、賃貸物件を望む人の声が紹介されている。そして、何よりも高まったのは「国やメディアへの不信感」である。「テレビ、新聞は、全く信用しない」、「表面では『絆』などと言いながら『ガレキ処理の問題』ではエゴむき出し」という声が。

もっとも印象に残るのは「今日思ったことは今日伝える。今やりたいことは今やる。あたりまえに明日がくるとは思わない」(31歳・女性・三重)という声。震災や原発事故により、やけになったりパニックになることは避けるべきだ。しかし、それらを「どうせ一度の人生なのだから」という感覚を持ち、その日その日を目一杯に、たいせつに生きる姿勢を持つ転機にするのは悪いことではないと思う。

筆者自身は、大地震が怖い。とはいえ、それは簡単に予知できるものではない。突然、大地震が発生したら、せいぜい机の下にもぐりこむくらいの対処しかできないであろう。どうにかしなければという気分よりも、自然災害への畏怖と諦念を抱くようになった。賃貸で暮らし、食材を買うときに産地を見ることなど少ない。

震災直後のトイレットペーパー買い占め騒動の時には、いざとなったら洗えばいいと思って、焦ることはなかった。長期滞在したカンボジアの都市や地方では、いまだに排便後は水で尻を洗うという文化が根付いている。ようは、大きな自然災害に巻き込まれた後も、それ以前と同じレベルで生活しようと思うから焦ったりパニックになるのだ。日常から、レベルの下がった場合の生活態度を予想し、覚悟を決めておく。すなわち「諦念」の姿勢こそが、もっとも重要な心構えなのではないかと筆者は考えている。


[新潮]週刊新潮は、3月16日に亡くなった思想家の吉本隆明さんを記事とグラビアで追悼している。記事は「『吉本隆明』の遺言 『反原発』で猿になる!」というタイトルで、筆者がかつて「老害」と批判した新年特大号のインタビュー記事を振り返っている。

たしかに、1960年代から70年代にかけて、吉本さんは日本の思想界において若者に圧倒的な影響を与えた。その理由については、新聞や雑誌にさんざん書かれていることなので、ここでは深入りしない。筆者が指摘しておきたいのは、その影響力はいつまでも続いたものではなく、90年代以降にはほとんどなくなっていた、ということである。

影響力がなくなってからは、吉本さんの「いい人」「おもしろい人」「庶民的な人」というキャラが前面に押し出されるようになり、思想家というよりも有名人とか著名人というカテゴリーに分類されるような人になってしまったと筆者は見ている。そんな吉本さんをいまさら担ぎ出し、原発擁護のイデオローグに仕立てる新潮には違和感を抱いていたし、それを引きうける吉本さんの姿勢にも疑問を感じていた。

社会学者の上野千鶴子さんが、3月21日に以下のツイートをしている。「九州出張に出ているあいだに吉本隆明さんが亡くなられました。新聞、雑誌の追悼記事の依頼はこれですべてパス。改めて考えてみるとわたしのなかでは吉本さんがとっくに『死んで』いることに気がつきました」。

巻末グラビア「吉本隆明が『都はるみ』を歌った『在りし日』」では、1987年に撮影された貴重な写真が掲載されている。左側に都はるみさん、右側に中上健次さん、そして真ん中に吉本さんというスリーショットである。中上さんらが主宰したこの「吉本隆明25時」という企画は、吉本さんが「24時間ぶっ続けで講演、討論をおこなう」というものであった。

いい時代だったんだなあ、とつくづく思う。吉本さんの主義・主張はともかく、こうした身の軽さについて筆者は好感を持っていた。ご本人はどう考えていたのか知らないが、「好々爺」で終わっておけばよかったものを、わざわざ原発擁護の論陣に引き入れてしまった新潮は、罪つくりな雑誌だと思ったりもする。

[その他]記事ではないが、新潮に掲載されている月刊誌「新潮45」の広告を見て、失笑してしまった。「放射能から閉経まで 女性誌『アエラ』の研究」というリードが目に入ったからだ。まさに筆者も、アエラには同じ感想を持っていた。リクルート事件で世間の注目をあびた調査報道など見る影もなく、女性誌化していくアエラに、「どこへいくのか?」と筆者は聞いてみたかった。たまには新潮45を読んでみよう。

今週の軍配は、引き分け。

【これまでの取り組み結果】

文春:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

新潮:☆☆☆☆☆☆☆☆



(谷川 茂)