パチンコをする原発避難者と疲弊した地域経済

写真拡大

働かないので時間がある。働かないけど、ある程度の収入はある……。そういう人にとって、時間がつぶせて、ドキドキハラハラできて、総合的には損をするけど、ときには儲かったりする絶好の行為がある。そう、それはギャンブルである。もっとも身近なギャンブルはパチンコやパチスロ。他にも、競馬、競輪、競艇、オートなど、スポーツ新聞で確認すれば、月曜から日曜までどこかでギャンブルが開催されている。

高知にいくと、龍馬空港から高知市内に向かう国道沿いにパチンコ屋がたくさんあり、その近くには申し合わせたようにサラ金各社の無人契約機を設置した簡素な建物がある。その光景に驚いた筆者の顔を見ながら、車に同乗していた地元紙の記者が「仕事がないんですよ。暇だからパチンコをするんです。原資は生活保護費が多いですね」と話してくれた。

おそらく、そんな光景が見られるのは高知だけの話ではあるまい。一般的に「地方」と呼ばれる地域の国道沿いは、すべてがそうだとは言わないが、似たような光景が見られる場所が多いのではないか。地域経済の疲弊が仕事の減少をまねき、生活保護を受ける人を増やす。時間があって小金を持ち合わせていれば、ついついギャンブルに通ってしまうという人も多くなるのは必然である。

週刊ポスト2012年3月23日号に「原発避難者 失業手当と賠償金で働くのバカらしくパチンコへ」という記事が掲載されている。記事によれば、「行政による被災者への“生活保護”の厚遇ぶりが、逆に復興を遅らせていると指摘されて」おり、「一部の被災者には、『働かない方が震災前に比べて収入が多くなる』という異常なケースが生じている」のだという。

「厚遇」の内容は、失業手当と東電の賠償金(なぜか「生活保護費」は記されていない)、漁業補償など。さらに、「各種国税の減免など、税金の優遇措置に加え、仮設住宅や借り上げ住宅に住めば家賃は県が負担するため、被災者が支払うのは食費や光熱費程度で済む」。ポイントは、この状況を「ギャンブルに通う人たち」を基準にした上で「厚遇」と考えるか、「ギャンブルをしないでまともに生活を再建しようとする人たち」を基準にした上で「それなり」と考えるのか、という点だと言える。


筆者は、あくまでも後者の「それなり」と考えたい。記事は、冒頭で「東日本大震災から1年。新聞・テレビにあふれる悲劇や美談だけでは大震災の真実は語れない。真の復興のためには、目を背けたくなる醜悪な人間の性にも目を向けなければならない」などと威勢のよいことを言っている。だが、この記事の前半で示したように、働かずに金が入り、働かないので時間があるような人たちがギャンブルに走るのは原発避難者に限らず全国的に見られる傾向なのである。

だから失業手当や賠償金をもらっている原発避難者がギャンブルに通うのはよい、と言っているわけではない。記事を書くのなら、そういう人たちがただただ悪者に見えてしまうような書き方ではなく、なぜ彼らはパチンコにいくのかという根本的な問いについて突っ込んだ取材をした上で、その理由を解明するような書き方をしてほしかった。

具体的には、似たような問題は原発避難者の周辺のみで起きているのではなく、日本全国の「地方」で起きていること。その大きな理由は、地域経済の疲弊という病であること。疲弊した理由は、過疎化であったり原発事故であったりとさまざまだが、地域にその病が発症すると「ギャンブルに走る人が増える」という現象があらわれること。働かずに小金を手に入れ、その金でギャンブルをする人たちなど、少ないに越したことはない。

そして、そういう人たちを増やさないためにはどうすればいいのか。ギャンブルに通う小金持ちを詳しく報じることも必要であろうが、それを報じるのなら、過疎や原発事故により疲弊した地域経済をどうすればいいのかという視点とセットにする必要があるのではないか。

こんなことを書きながら、最後に一言だけ付けくわえると、ギャンブルにハマってしまう人の気持ちも筆者にはわかる。「賭け事」というものには、人の欲望へ強力に入り込む魔力がある。しようと思えば、何でも賭けの対象になる。カンボジアでは、雨が降り出す直前に、雨どいからたれる雨水の一滴目が何時何分か、という賭けで百万円単位の金が動いていた。ようは、いまを生きる人びとの総数のうち、何パーセントかの人びとは賭け事に手を出さずにはいられないのではないか、などと考えてしまうのである(あくまでも筆者の想像だが……)。

ハマった人やハマっている人に、儲かる可能性はほとんどないのでやめたほうがいい、と助言してもあまり意味がない。どこかの時点で本人が、「絶対に負けるものだ」と気づくか、「飽きた」と思う以外に、やめられる方法はないのではないかと思ったりもする。でも、地域経済の疲弊が「ようこそ、ギャンブルへの入り口へ!」という状況を作り出し、ハマる必要のない人までハマっていくのはどう考えても悲しすぎる。

そうやってハマる人を少なくするためには、個々人がハマらないように注意すると同時に、国や県、そして市町村単位での「経済政策」という大なたを振るっていくしかないのではないか、と筆者は考えている。

(谷川 茂)