福島県外に避難した住民たちにとって切実なのが「お金」の問題だ。避難生活では想定外の出費がかさむばかりか、そもそも仕事自体を失った人も少なくない。

 福島第一原発から約10km、警戒区域に指定された富岡町で農業をしていた遠藤俊明さん(68歳)がこう憤(いきどお)る。

「富岡町のうちの近所は、最近でも毎時5マイクロシーベルト以上と広報紙にあった。故郷には農地も家もトラクターもあるのに、なんで東京で6畳と4畳半の狭い部屋にいなければならないのか。68歳では、仕事もそう簡単には見つからない。でも、東電からは去年3月から11月分までの賠償金として130万円しか支払われていない。すべて奪われて、たったそれだけ。いつ死ぬかわからないんだから、一刻も早く賠償をしてほしい」

 渡利地区同様、ホットスポットの多い須賀川市から家族3人で神奈川県に避難した山田さん(仮名・20代)の奥さんもこう打ち明ける。

「夫(28歳)の仕事が見つからず、今は私のバイトでやり繰りしています。貯金もほとんどなくなりました。夫が仕事を見つけるには時間が必要ですね。というのも、避難しているため、雇う側としては、いつ福島に帰るかわからず、雇用に積極的じゃないんです」

 新宿区内の避難者向け民間借り上げアパートに住む、郡山市出身の中村さん(仮名・39歳)は現在、被災者のための臨時雇用の職を得ているが、そこに至るまでの道のりは険しかったという。

「以前、東京に数年間住んでいたときに勤めていた会社の社長には、当時よくしてもらったので、震災後の4月に訪ねていったんです。そしたら、インターホン越しに、『おまえ、大丈夫なの?』って言われて、『はい、地震でもケガはなく大丈夫でした』って答えたら、『違うよ、放射能は大丈夫かって聞いてるんだ』って。結局、ドアすら開けてくれずに、『帰ってくれ』と門前払いされました」

 中村さんはその後、ハローワークの紹介で港区の臨時職員として働いている。当初の条件は6ヶ月間のみの臨時採用だったが、福島に帰る目処が立たないため、現在も期間延長してもらい働いている。

 苦しい生活を強いられている県外避難者たちだが、前出の遠藤さんは「震災に負けてたまるか!」と、あくまで前向きな気持ちで日々を過ごしているという。

「以前、都内の避難所にいたときに、新聞で劇団員の募集広告を見たんです。それで、震災に遭っても負けないで頑張っている人間がいると知ってほしい、東北の人の糧(かて)になりたいと思い応募しました。今はレッスンを受けています。いずれはテレビに出て、脱原発と核廃絶を訴えたいんです。あと何年生きられるかわからないけど、自分の力で稼いで、生きられるだけ生きたいと思ってます。年齢は68歳ですが、マラソン歴50年で毎日30kmも走ってカラダを鍛えてますからね!」

 とてつもなくパワフルな遠藤さんは、最後に政府へ怒りをぶちまけた。

「国会議員には、『おまえらが住んでみろ。それなら私も一緒に住むぞ』と言いたいです」

(取材/頓所直人)

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