漫画も本もたくさん読めばいいのだ!

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「ダメなの? 13歳投書に反響 漫画VS本」という記事が2012年3月3日付の東京新聞に掲載された。13歳の女の子が漫画を読んでいると、母親に「漫画ばかり読むな!」「本をいっぱい読みなさい」と言われた。では、『何で本はいっぱい読まなきゃいけないのに、漫画は読んじゃだめなわけ?」という女の子の素朴な疑問が新聞投書につづられていたという。

記事では、本のように「絵がなければ、情景を頭の中で描きながら読む。それこそが思考力」という「本」擁護派と、「漫画も思考力を養う」という「漫画」肯定派の意見が投書で送られてきたことを紹介する。また、漫画家・山田玲司さんの「漫画をバカにするのは歌舞伎をバカにするのと同じ」や、学習院大学教授・中条省平さんの「読んだ経験は絶対にプラス」といった「漫画」肯定派の識者の声も取り上げている。

さらに、「朝読書」を推進する元高校教諭・林公さんの「漫画もいいが、まずは物語などの本を読み、言葉の力を蓄えて」という意見も紹介されている。こうしてさまざまな声が聞こえてくるのは、当然のことであろう。それは、「漫画を読んでいいのかどうか」という問題には、他者が決められるような答えがないからである。少なくとも言えることは、ある漫画を読んで深い感銘を受けたり、インパクトのある印象を持った人は、けっして漫画の「良さ」を否定しないであろう、ということである。

何かのきっかけで、漫画と出会う。漫画という仮想空間のなかで、「友情」や「絆」、「ユーモア」、「愛」、「恋」などをなんとなく学ぶ。さらに、漫画には「性」や「暴力」「社会」について考える契機になる作品も多い。もちろん、小説やノンフィクションを読んでも、そういったことに触れることはできる。しかし、漫画の読みやすさは、活字の本とは比較にならない。

私事で恐縮だが、例えば筆者は白土三平の『カムイ伝』や『カムイ外伝』を読んで、江戸時代の不条理な身分制度の存在を知り、被差別部落問題に関心を持つようになった。また、赤塚不二夫の『天才バカボン』を読み、ユーモアの本質について考えるようになり、バカボンパパの「これでいいのだ」という言葉に子どもながらある種の救いを感じた。


そして、おとなになってからも、漫画を読み続けている。純粋にストーリーの展開を楽しむこともあれば、社会問題について考えさせられることもある。はたから見たら気味が悪いかもしれないが、電車でギャグ漫画を読んでいると、思わずニヤニヤしてしまうこともある。つい先日も萩尾望都の『トーマの心臓』を読み、いまは花沢健吾の『ルサンチマン』を読み直している。

ただし、活字の本も漫画と同じくらいよく読んでいる。それは、子ども時代から変わっていない。漫画がきっかけで何かに興味を持ち、その何かについて書かれている本を読む。逆に、活字の本で書かれている内容が、漫画にも描かれているので読んでみる。そういう不思議な連関がいくつもあった。

この論争に関していうと、漫画そのものと本そのもののどちらがいいのかという話は、不毛であるように感じる。そうではなく、漫画も本もひっくるめた上で、作品一つひとつの内容の良し悪しについて論争をすることに、意味があるような気がする。個人的な経験から言うと、本はいくらでも読んだほうがいいと思う。そして、本を読んだ上で、漫画もたくさん読んでいい。

漫画だけ大量に読むというのは、そういう時期があってもいいとは思うが、あまり感心できない(けっして漫画がダメだということではなく)。やはり活字になじむのも重要なことであろう。たいせつなのは、漫画と本の双方をバランスよく読む姿勢である。バランスよく読んでいれば、漫画は「百利あって一害なし」の宝物になりうると筆者は思う。



(谷川 茂)