ゲームとは相対的なものである。

自分たちの力を出し切ったからといって、必ずしも勝利をつかめるわけではない。本来のプレーができなくても、白星が転がり込んでくることもある。

2月29日に行なわれたウズベキスタンとのブラジルW杯3次予選は、敗戦を素直に受け入れなければならない一戦だった。

試合後のアルベルト・ザッケローニ監督は、「日本の敗北が正当な結果だったとは思わないが、それだけ相手が良かった」と振り返っている。僕の感覚では、微妙にニュアンスが違う。「相手が良かったということも含めて、日本の敗北は正当な結果」だった。

個人の実力を足し算していけば、勝つべきは日本である。日本は先発のうち8人がヨーロッパでプレーしているが、ウズベキスタンは自国かアジアの他国でプレーしている選手ばかりだった。個々の“履歴書”で、日本が上回るのは歴然だ。

クラブ世界一になったインテル・ミラノでプレーするような選手は、ウズベキスタンにはいない。ブンデスリーガのチャンピオンチームに、在籍している選手もいない。だからこそザックは、勝つべきは日本だったと言いたいのだろう。勝たなければいけない、という使命感もあったに違いない。

少しばかり傲慢だったのではないか。油断はしていなかっただろうし、慢心もなかったのだろうが、心のどこかに「普通にやれば勝てる」といった気持ちが潜んでいたと思う。ガムシャラに勝利をつかもうとする意欲に、欠けていたと感じられてならないのである。

僕自身もそのひとりだった、と言わなければならない。クラブレベルでの選手の頑張りに頼もしさを感じ、これだけの「個」が集結すれば負けるはずはない、という気持ちにとらわれていた。スケジュールがタフだとしても、彼らならやってくれるはずだ、と。

周囲が作り出す雰囲気は、知らず知らずのうちにチームへ伝染する。敗戦の第一義的な責任はピッチで戦った選手と監督にあるが、「日本は強い、だから勝てる」といったムードを醸成していたサッカー界全体にも責任はある。もちろん、僕自身もそのひとりだ。

昨年のアジアカップは、紙一重の戦いの連続だった。3次予選にも同じことが言える。北朝鮮とのホームゲームで、吉田麻也のヘディングシュートが決まっていなかったら──日本は2勝2分け2敗の勝ち点8だった。北朝鮮も2勝2分け2敗だった。勝ち点の争いでは、2位以内を確保できていなかったことになる。

日本の実力に疑いの余地はない。だが、アジアにおける優位性は、薄紙一枚程度のものでしかない。北朝鮮、ウズベキスタンに連敗したことで、他国の見方も変わっていくだろう。どのようなグループ分けになったとしても、最終予選が相当にタフな戦いとなるのは間違いない。
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