“門限破り”が18年間出ていない“プロ野球の大記録”に?

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 プロ野球の春季キャンプもいよいよ大詰め。昨年は低反発の統一球の導入や、審判のセ・パ統合などが影響し、投高打低の色がはっきりと見えるシーズンとなりました。そして、今年も統一球が継続して使われることになっており、各球団の打者陣も対応してくるとはいえ、この傾向は続くと予想されます。

 そうなると期待が高まるのはノーヒットノーランや完全試合といった投手の大記録。特に一人も塁上に走者を出さない完全試合は1994年5月18日、福岡ドームで槙原寛己投手(当時巨人、対広島戦)以来、18年間記録されておらず、成長著しい若手投手たちにその達成の期待がかかります。
 さて、その槙原投手の完全試合ですが、実はその裏に当時、巨人のマネージャーであった菊池幸男さんとのとある“約束”があったといいます。そのエピソードが、菊池さんの半生を追いかけたノンフィクション『不滅 元巨人軍マネージャー回顧録』(長谷川晶一/著、主婦の友社/刊)で回想されています。

■門限破りのペナルティが大記録に…?
 1994年5月16日、この日はチームにとって年に一度の福岡遠征のための移動日。巨人の選手たちはホテルに宿泊し、翌日からの連戦に英気を養います。
 当時の選手たちの門限は午前0時で、その時間を過ぎるとマネージャーの菊池さんは部屋の見回りを始めます。その日も各部屋をまわっていると打撃投手の部屋に槙原投手がいたため、「早く自分の部屋に戻れよ」と声をかけると、槙原投手は「はい」と言って自分の部屋に向かっていきました。
 ところが、他の部屋を点検していると、誰かが移動する気配がします。ホテルの守衛に誰か通ったか尋ねてみると「背の大きい人が通っていきましたね」という返答。その瞬間、菊池さんは「槙原だな」とピンと気づき、槙原投手の部屋に向ってみると誰もいません。その年マネージャーに就任したばかりの菊池さんにとって、初めての“門限破り”。部屋にメモ書きを残し、ひたすら槙原投手からの連絡を待ちます。
「すみませんでした」という言葉とともに槙原投手が菊池さんの部屋に入ってきたのが午前2時50分。厳しい態度で臨むことを決めていた菊池さんは、「罰金5万円、遠征時の外出禁止1ヶ月」の罰を言い渡します。
 反省の色を見せていた槙原投手でしたが、翌朝、球場一塁側のトイレで菊池さんと対峙し、「外出禁止1ヶ月」の処分を撤回して欲しいと言います。高給取りの一流選手にとっては、罰金より外出禁止の方が重い処罰です。「何とか!」槙原投手の懇願を受けた菊池さんは、チャンスをあげることにします。

「明日の試合で100%の力を出し切って、監督やチームメイトに一生懸命に頑張ったんだという姿を見せてくれ。そうしたら、ペナルティのことはオレが判断する」(P170より)

 翌日、槙原投手は普段と違った意気込みでマウンドにあがります。奇しくもその試合は、巨人にとって通算7千試合目。本調子ではないなりに丁寧なピッチングを心がけた槙原投手は、なんと3回終了時点で大記録達成への手ごたえを感じていたといいます。
 一度だけ緊張が走る守備がありましたが、淡々と投げ続けた槙原投手は見事、完全試合を達成。マウンドでチームメイトたちと抱き合って喜ぶ槙原投手以上に、菊池さん自身も感無量の思いだったといいます。

■ユニフォーム組でも背広組でもない「ジャージー組」
 実は、この菊池さんは野球選手を経験せずにマネージャーを任された異色の経歴の持ち主です。元々はスポーツメーカーの玉澤でセールスマンをしており、巨人担当として選手やスタッフたちの要望に真摯に応えていました。当時はV9時代、長島茂雄さんや王貞治さんら名選手から愛され、特に長島さんとのエピソードは本書の至るところで出てきます。
 15年勤めた玉澤を退社後の1982年、当時の巨人一軍総務担当から誘いを受け、用具係として巨人に入団。それは彼の仕事ぶりが、選手たちやスタッフたちに認められていたからといえるでしょう。
 一軍マネージャーに就任したのが1994年。指名したのは前任者だった倉田誠さんです。これは異例ともいえる人事で、典型的体育会系社会のプロ野球において、「ユニフォーム組か、否か」ということが人間関係を規定する上で重要でした。しかし、菊池さんの手を抜かない仕事ぶりを見ていた倉田さんは「チームの見本、規範にならなければいけない」マネージャーとして、菊池さんが適任だと考えたのです。
 「自分はユニフォーム経験者ではない」という思いは、その後、マネージャーに就任していた10年間にわたり、菊池さんを悩ませます。また一方で、フロント業務を担当する「背広組」でもない。『不滅 元巨人軍マネージャー回顧録』の著者であるノンフィクションライターの長谷川さんは、菊池さんを「ジャージー組」だったといいます。いつもジャージーに身を包み、泥にまみれて汗だくで働き続けた――それが菊池さんだったのです。

 巨人の黄金時代を支えた裏方の半生。その視点から見た巨人の往年の選手たち、チームスタッフたちの様子も克明に描かれており、ファンにとって新鮮かも知れません。
(新刊JP編集部)



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