出自に悩み、不登校気味だった学生時代
本の世界に触れるきっかけは、漱石だった



 現役の東大教授でありながら、数々の著作を発表し、テレビや雑誌といったメディア出演など、精力的な活動を続けている姜尚中さん。3月から朝日新聞社と集英社が合同で行う教育プロジェクト「本と新聞の大学」ではモデレーターも務める姜さんの"知"を育んだ本とは、いったいどんなものだったのでしょうか?

 「実は、子供のころはあまり熱心な読書家ではありませんでした。野球に熱中していて、朝から晩まで白球を追いかけていましたね。それでも読んでいた本は、歴史上の人物の伝記を集めた『偉人伝』が多かったと思います。小学生のときに、野口英世の伝記の読書感想文を書いて、発表会に選ばれたことを覚えています」(姜さん)

 典型的な野球少年だったという姜さんですが、中学時代に「在日」という出自に悩み、いつの間にかひとりで思い悩む日々が増えていったそう。そんなときに手に取った小説が、国民的作家の夏目漱石でした。

 「漱石は私にとって、本格的に書物の世界に触れるきっかけとなりました。ただ、後期の『こころ』や『明暗』といった暗い題材の作品は、当時は読んでもよくわからなかった。好きだったのは『吾輩は猫である』とか『坊ちゃん』といった明るい、諧謔(かいぎゃく)に富んだ作品でした」

 漱石を選んだのは、「現代的な作品だと、自分から近すぎるために現実逃避にならなかったから」と姜さん。書物を読むことが逃避だったからこそ、漱石の明るい作品に惹かれたのでしょうか。

 「高校生のときには、いよいよ学校に行くのが嫌になっていました。名古屋弁でいうと『えらかった(ダルい・疲れた)』(笑)。不登校気味で、よく卒業できたなと思います。そんなときに、少しずつですが、漱石の明るい面だけでなく、彼が見ていた人間の"深淵"といったものが理解できるようになってきた。それで、この人は面白いだけでなく、本当にすごい人なんだと実感しました。漱石の作品は、人と人のつながりを水平的に描くというよりも、"個人"を縦に深く掘っていくイメージ。自分もあれかこれかと悩んでいたからこそ、その視線に共感できたんです」

 姜さんによれば、本を読むという行為は「究極的には孤独な作業」とのこと。言葉のひとつひとつと向かい合うことは、孤独を通じ、鏡を覗き込むように自分と向きあうことでもあります。漱石は姜さんにとって、野球に明け暮れていたスポーツ少年から、内省的な青年時代へと進むきっかけにもなったようです。

 後編は、姜さんの「マンガ」に関する思い出や、知識人のあり方についてのお話をお届けします。


<プロフィール>
姜尚中(カン・サンジュン)

1950年、熊本県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。旧西ドイツ、エアランゲン大学に留学の後、国際基督教大学助教授・準教授などを経て、現在、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍する。近著に『あなたは誰? 私はここにいる』(集英社新書)など。3月からは、いま、世の中に必要とされる"知"を提供するプロジェクト「本と新聞の大学」のモデレーターを務め、白熱講義を展開する。
本と新聞の大学公式HP 







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