成毛眞著『成毛眞の超訳・君主論』

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「管理職になりたくない」という会社員は、いまや珍しくなくなった。組織のリーダーたるもの、部下の一人ひとりと対話し、やる気を高め、能力を引き出し、誰からも愛され信頼されて、清廉潔白で批判にも耐え…などと条件を並べられれば、誰だって尻込みしたくなる。

かといって、いつまでもヒラでいるわけにもいかない。マイクロソフト元社長の成毛眞氏は、そんな迷える会社員たちに対して、組織そのもののマネジメントについて説いたドラッカーの教えよりも、普遍的な人心掌握のノウハウを残したマキアヴェッリを読むべきだと呼びかける。

お人好しには乱世の舵取りなんかできない

――そもそも私が日本マイクロソフト法人の社長になったのは偶然だった。

私はもともとマイクロソフトの社長職には興味はなかった。前任者に打診されたときは、「私は給料アップも望んでないし、地位も名誉もいらないから」と即座にお断りした。しかし、1ヵ月にわたって説得され、承諾するに至った。

社長業を始めるにあたって、どのようにしたらよいのか、まるっきり見当がつかなかった。そんなときに思い出したのが『君主論』である。…

「君主は愛されるより恐れられろ」
「加害行為は一気にやってしまわなければならない」
「決断力のない君主は、多くの場合中立の道を選んで滅びる」

このような言葉の一つひとつに私は頷いた。私が考えていた君主像が、まさにそこにあったのだ。『君主論』は500年前にフィレンツェの官僚であったニッコロ・マキアヴェッリが、これから君主になる人に向けて書いたリーダー論である。500年前の書であっても、まったく内容は古びていない。それどころか今読んでも新鮮で、挑戦的な本だと感じる。

マキアヴェッリが生きていた時代は、君主は清く正しく生き、慈愛に満ちた人物であれ、と説かれていた。マキアヴェッリはそのような建前をぶち壊し、「君主が清く正しく生きるのなんてムリ」と本音を言ってしまったのである。…

誰にでも優しいリーダーなどあり得ない。

誰にでも公平に接するリーダーなどあり得ない。

『君主論』で説くのは、まさに非常時の今こそ求められているリーダーなのだ。平時と非常時では求められるリーダーが異なる。「人は褒めれば伸びる」「話し合えばわかり合える」といったキレイゴトを信じているお人好しでは、この乱世で舵取りはできないだろう――

(成毛眞著『成毛眞の超訳・君主論』メディアファクトリー新書、9〜12頁)


(会社ウォッチ編集部のひとこと)

成毛氏はマイクロソフトやアップルのエピソードなどを引きながら、『君主論』を独自の解釈で読み進める。「ちょっと愛され、たくさん恐れられる人物がリーダーにふさわしい」「敗者の言い訳は誰も聞かない」「敵か味方か。『それ以外』はなし」「決断力のない人間は、奴隷として生きるしかない」などなど。マキアヴェッリの考えを批判的に扱っているところもあるが、それだけ『君主論』を自分の実践に近づけて読み込んでいることを感じさせる。その意味で、日々の仕事に励むサラリーマンが読む名著の解釈本としては『もしドラ』よりずっと役に立つだろう。