“アドレナリン”をめぐる紆余曲折

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「興奮してアドレナリンが出る」という言い回しは、この日本においてもすっかり市民権を得ているようだ。アドレナリンとは、副腎髄質から分泌されて血圧などを上昇させる作用のある人体に不可欠なホルモンである。では、そのアドレナリンを発見したのが日本人であることはご存知だろうか。そして、このアドレナリンという名称そのものに、現代までに及ぶ日本とアメリカとの紆余曲折(うよきょくせつ)があったことも。

アドレナリンを発見したのは、当時ニュージャージー州に留学していた日本人研究者の高峰譲吉とその助手である上中啓三だった。高峰らは1900年にウシの副腎からアドレナリンを発見し、1901年に世界で初めて物質の結晶化に成功する。同様の研究はその頃のトレンドとして世界中で行われており、アメリカのエイベルはヒツジの副腎から発見した物質をエピネフリンと名付け、ドイツのフェルトはブタの副腎から分離し物質をスプラレニンと名付けた。また、高峰らの研究より5年ほど前の1985年には、ナポレオン・キブルスキーという研究者が“血圧などを上昇させる作用のある物質”を発見しているが、これは純粋なアドレナリンではなく、類似の作用を持つカテコールアミンとの混合物であった。高峰らの功績は、アドレナリンと名付けたその物質を純化し、結晶化したことにある。

エピネフリンは、結果的にはアドレナリンとは分子式の異なる物質だった。それにも関わらず、エイベルは高峰の死後、高峰らの研究は自分の盗作であると主張する。これは高峰がアドレナリンの発見を発表する直前、たまたまエイベルの研究室を訪問したことを利用した、事実無根の言いがかりであった。ところが、ここでアメリカの学会はエイベルの主張を信用してしまう。アメリカらしいといえばなんともアメリカらしい展開だろう。

その一方、高峰にも確かに非はあった。アドレナリンを分離したのが実際には上中だったにも関わらず、高峰は研究結果のすべてを自分の功績として発表しており、このことが高峰が信用されなかった一因ではあるようだ。本来このような薬学の分野で実績を挙げたのはむしろ上中であり、高峰の実績は主に醸造など発酵学おけるものであったからである。後年になって、上中の残した実験ノートが証拠となり、また、エイベルの方式ではアドレナリンが抽出できないことも判明して、高峰らが最初のアドレナリンの発見者であったことが確定した。しかし、それでもアメリカは納得しなかったのだ。

ヨーロッパでは高峰らの功績を認め、副腎髄質ホルモンについてアドレナリンの名称を使用している。ところが、アメリカでは今もなお同じホルモンをエピネフリンと呼んでいるのである。そして、これは非常に残念なことに、日本人が発見したはずのアドレナリンは、日本の医学会においても長くエピネフリンの名称で使用され続けてきた。

2006年4月になって、医薬品の正式名称を定める日本薬局法がようやく改正され、副腎皮質ホルモンの名称はエピネフリンからアドレナリンに変更された。高峰らの発見から100年も経った後のことだった。

画像:アドレナリンの分子式

※この記事はガジェ通ウェブライターの「あまのじゃく」が執筆しました。あなたもウェブライターになって一緒に執筆しませんか?
北関東で生まれ育つ。数年の浪人生活を終えて医学部に合格するも、東日本大震災を挟んで生活が激変。思うところあり、医師兼ライターを目指して活動中。