“腸チフスのメアリー”に学ぶ

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善良であるということは、必ずしも周囲の人々を幸せにするというわけではないようだ。ひとつ例を挙げるとするなら、“腸チフスのメアリー”という異名を持つメアリー・ジェーンが、実際には大変善良な女性だったということだろうか。

20世紀初頭のニューヨークにおいて住み込みの料理人として働いていたメアリーは、周囲に「子どものように善良な」と評されるほどの女性だった。しかし一方で、メアリーは腸チフスによる47人の感染者と3人の死者を出し、“腸チフスのメアリー”として後世まで語り継がれるようになる。

当時のニューヨークでは、腸チフスがあちこちで流行していた。メアリーを雇う家庭にあっても家族に腸チフスが広がり、メアリーの手厚い看護も虚しく病状は悪化していった。結果的にメアリーは勤め先を転々と変えることになるが、そのたびにメアリーの身辺では腸チフス患者が発生する。その数は22人にも上り、死亡者も発生したところで、メアリーは腸チフスの保菌者として調査の対象となった。
メアリーは多くの犠牲者を出した感染源として疑われ、調査のために排泄(はいせつ)物のサンプルを提出することになった。メアリーは「名誉を傷つけられた」として激昂(げっこう)し、調査を拒否して激しく抵抗したという。大きな金属製のフォークを振り回し、クローゼットに身を潜めたものの、最終的には5人の警察官によって強制的に身柄を確保されることになった。

調査の結果、メアリーのサンプルからはチフス菌が検出された。メアリーは病院に収容され、隔離されたが、検査結果に納得はしなかった。当時の医学には“健康保菌者(症状が出ない感染者)”という概念が存在せず、メアリー自身には感染の兆候が全くなかったためである。
善良だがかたくなであったメアリーは、「自分が健康保菌者である」と認めるのではなく、「自分が不当に拘束されている」と考えるようになる。メアリーは隔離の中止を求めて裁判を起こすが、結果は敗訴だった。
公衆衛生の観点に立てばメアリーは隔離されてしかるべきだが、そのことはメアリー個人の人権を著しく侵害する。最終的には“食品を扱う仕事につかない”こと、“定期的にその居住地を明らかにする”ことを条件に、メアリーは病院から解放された。
そして、このことが更なる悲劇を引き起こす。しばらくはその条件を守って生活していたメアリーであったが、やがて消息がつかめなくなったのだ。5年後、メアリーは再び腸チフスの感染源として発見される。

こともあろうに、メアリーは身分を偽り、ニューヨークの産婦人科病院で調理の仕事をしていた。そこで25人の感染者と2人の死者を出したところで、メアリーに関する歴史上の記録は少なくなる。隔離先の病院で身体が不自由になってからは、子どもたちの声が聞こえる小児病棟の近くにベッドを移され、やがて息を引き取ったとも伝えられている。

メアリーはただ“健康保菌者”という概念を理解することができなかっただけの、善良な女性であったのかも知れない。しかし、一度隔離されてから引き起こした二度目の事件については、メアリーに何かしらの悪意があったとする意見もある。
いずれにせよ、現在この“腸チフスのメアリー”のエピソードは、食品を扱う者の教材となっている。また、善良でかたくなであるということの危うさも私たちに伝えてくれているようだ。

画像:『ニューヨーク・アメリカン』の記事(1909年)より

※この記事はガジェ通ウェブライターの「あまのじゃく」が執筆しました。あなたもウェブライターになって一緒に執筆しませんか?
北関東で生まれ育つ。数年の浪人生活を終えて医学部に合格するも、東日本大震災を挟んで生活が激変。思うところあり、医師兼ライターを目指して活動中。