壊すのは一瞬、作るのは大変

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日本史の教科書に出てくる神仏分離、廃仏毀釈は、地方によって実施の徹底ぶりに濃淡があった。明治新政府の政策だったから、体制側の薩長土肥では徹底的に実施されたようで、高知県では廃仏毀釈が決まると、ほとんどのお寺が破壊された。そのまま復興されないまま終わったお寺も多い。なかで近畿地方の西国観音三十三か所霊場にならって江戸時代に設けられた「土佐西国三十三か所」のお寺は、何とか再興された。しかし、資金不足のため多くは地味寺として残っている。
写真の簡素なお堂は西孕観音寺(高野山真言宗)。高知市の中央部、桂浜の北にある。土佐西国三十三観音19番札所。寺の古さは、周辺の石仏などで知ることができる。参道には、近世のものだろうが、妙にアクティブな地蔵尊が何かを訴えかけている。



近くの街中を流れる小川では、見事な青首のカモが水浴びをしていた。すぐ横に民家があるのに、全く警戒心なしである。



市の中心部を流れる鏡川沿いの上町には、屋根がかしいだこんなお寺も見える。川よりも一段下がった土地にある。



妙観音寺堂。土佐西国三十三観音の19番札所。
小さなお堂が残るだけだ。境内には鎮守のお稲荷さんが愛嬌のある姿で残っている。



もともと高知=土佐の山間部には神道で葬式をする習慣があるなど、仏教との縁は濃くはない土地柄だった。だから四国の半分を占める広い地域であるにもかかわらず、江戸時代の寺の数は700と愛媛=伊予の三分の二ほどしかなかった。それが明治の廃仏毀釈を経てさらに減少し、今では370程になってしまった。
蒔寺は、土佐西国三十三観音7番札所。高知市東部、大津の山の斜面にささやかなお堂が残るのみ。大きいのがお寺で、小さいのが鎮守だ。



しかしこうしたお寺でも、地元の人々は境内を掃除し、建物を補修するなど維持管理に努めている。地味寺であっても存在意義は変わらないのだ。

何でもそうだが、壊すのは一瞬だが、作るのは大変だ。
高知の地味寺は、一時の激情に駆られて短慮を行動にしてしまうと、取り返しのつかないことになるという教訓でもある。





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