ページを開いた途端、これは自分にとって大事な本になると判ることがある。
 読書は、本と人間との時間の共有である。ページを繰って最後までつきあって、初めてその価値が判る。だが、最初の数ページに目を通しただけで、私は心を奪われてしまったのだ。
 瀬名秀明『科学の栞(しおり)』(朝日新書)がその本だ。「世界とつながる本棚」と副題がついているように、これは瀬名の書評集である。さまざまな科学書についての書評が収められている。
 どんな文章に胸を打たれたのか、恥ずかしいけど明かすことにする。「はじめに」と題された著者のまえがきの、最初のところに出てくる文章である。
 ちょっと長いが、段落をすべて引用することをお許しいただきたい。

 ----いま日本では進路を決めるとき、理系・文系という枠から入ることになっています。本書を手にしてくれたあなたは、科学実験好きの理系志望かもしれない。あるいは読書好きの文系志望かもしれない。本書があなたに伝えたいのは、科学実験が好きで読書が好きな人生ってすばらしいじゃないか、ということなのです。あなたは理系に進んでも小説好きでいられるし、文系に進んでも科学を楽しむことができる。そして未来をいま真剣に考えているあなたは、おそらく自分が将来どのように社会に貢献できるかと悩んでいることでしょう。科学の本を読むということは、そうした悩みに向き合い、未来を考えてゆくことでもあるのだと伝えたい。

 本書には2種類の文章が収められている。瀬名が「朝日中学生ウィークリー」紙に寄稿したもの、そして一般紙や総合誌に書いたもの、つまりディーン向けと大人向けの文章だ。それぞれの書評の見出しがしおりのような体裁になっており、前者に属する文章には「科学書への第一歩」、後者は「魅惑の科学書」というタグがつけられている。もちろん、初心者向けだからといって甘えた文章で書いているわけではない。引用したのは、「科学書への第一歩」に属する本を読むであろう、十代の読者に向けて書かれた部分だ。
 全体は科学書入門、脳科学・心理学・生命倫理などの「こころ」の分野、生命科学や進化、気象・地球・宇宙などの地学天文分野、環境や生物などの自然を対象とした分野、物理・数学・医学、機械・建築・ロボット、そして科学者の伝記やフィクションに関するもの、といった具合に8つに分かたれ、合間にエッセイが挿入されている。
 どの本も魅力的で、目が回りそうになる。アリス・ドムラット・ドレガー『私たちの仲間 結合双生児と多様な身体の未来』(緑風出版)の項を読んで、自分が拠っている「普通」の感覚にゆらぎを覚え、リチャード・プレストン『世界一高い木』(日経BP社)の項でツリークライマーという存在を知り、カール・ジンマー『大腸菌 進化のカギを握るミクロな生命体』(NHK出版)の項では「飲み会で手持ちぶさたになった分子生物学の学生たち」は「酵母と大腸菌、どっちがかわいい?」という話題で盛り上がるのだと知って驚愕する。すべての書評に初出紙誌と掲載年月日が記されているのも親切でいい。

 内容も魅力的なのだが、感心させられるのは瀬名の書評者としての真摯な態度だ。
 たとえば池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』(朝日出版社)をとりあげた際には、単に内容を紹介するだけではなく「後半の展開は実際のところかなりハードで、噛み砕くには読者側の集中力も必要だが、著者は怯まない」「この著者でなければ決してつくれなかった本だろう。本書で池谷裕二はついに、ひとりの科学者になったのだと思う」と、きちんと著者に対する批評を行っている。それは「本書の書評のため初期の著作から刊行順に彼の足跡を一気に読んでたどり、そうだよ、研究者はいつだってこうやってひとりの人間としてあゆんでゆくんじゃないか、と心のなかでうなず」き、内容が以前の著書より「格段に洗練されていることがわかる」というように著者の全体像を視野に収めているからできることだ。
 中学・高校生向けに書かれた部分では、読者を鼓舞することも忘れない。
 ----いまは難しいと感じてもいい。どうかこの本を大切に置いていてほしい。いつかきみが本当に科学をめざすとき、この本はかけがえのない宝となるはずだ。(星新一『人民は弱し 官吏は強し』新潮文庫)
 ----10年後、皆さんもこのような本がきっと書ける。本書を読んで科学のおもしろさに目ざめたら、今後はあなたが伝える番だ。(生化学若い研究者の会編・石浦章一監修『光るクラゲがノーベル賞をとった理由』日本評論社)

 実は最初に紹介した「まえがき」にはさらに美しい文章があり、私はそのくだりを読んで本格的に感動してしまった。ここにその文章を書き写すことは簡単なのだが、ぜひ実際に読んで確かめてもらいたい。私がこの本を紹介しなければならないと決意した理由がわかっていただけるのではないかと思う。
 見本として、その文章の頭の部分だけを引用しておきます。

 ----本書は書評を集めた本ですが、本当のことをいえば、ここに掲載した書物が大切なのではありません。未来にあなたがきっと手に取るであろう、いまは世に出ていない科学の本のために、この書評集をつくりました......

(杉江松恋)







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