歌手なら誰もが夢みる紅白に「歌えなかった1曲」が存在する。日本歌手協会の理事で、「紅白の謎」(幻冬舎刊)の著書もある作家・合田道人氏が激白!



 歴代の紅白では「この歌はダメ」というのが結構あります。かぐや姫の「神田川」(73年)は、歌詞の「二十四色のクレパス」が引っ掛かった。公共放送では商品名は放送できず、そこを 「クレヨンと歌ってください」と出演交渉。でも南こうせつ(62)は「イヤです」と一蹴。やっとこの歌が紅白に登場したのは平成になってからで、もちろん「クレパス」と歌いましたよ。

 自分の名前が出てくるのも、宣伝になるとの理由でNG。松本伊代(46)の「センチメンタル・ジャーニー」(81年)は「♪伊代はまだ16だから」の歌詞でアウト。

 78年、庄野真代(56)の「飛んでイスタンブール」は、NHKの歌番組では「そんなジタンの空箱」を「そんな煙草の空箱」と歌っていました。ところが紅白で急に解禁。実はその年にもう1人、商品名をひっ提げて、それもトリで、という歌手が出現します。そう、この手の話になると必ず出てくる山口百恵(52)の「プレイバックPart2」。よく「真まっか紅なポルシェ」を「真紅な車」と歌い替えたと言われますが、あれは誤報。紅白ではハッキリ、「ポルシェ」と歌っています。百恵は、その年の5月にNHKの「ヤング紅白歌合戦」で発売したばかりのこの曲を歌った際には「真紅な車」と歌い、 週刊誌に「百恵、新曲の詞を間違う!」なんて書かれたものです。

 でも、それを紅白で解禁した。理由はこの年、最大の人気者、ピンク・レディーの辞退。彼女らは一種の社会現象でしたから、NHKは焦った。その頃は演歌が相場だったトリを19歳の百恵ちゃんに任せ、「ポルシェ」まで解禁して話題にしたんですよ。

 反対に歌詞や歌いっぷりがエロすぎて差し替えの人も。「♪やめてッ」で始まる「経験」(70年)の辺見マリ(60)。色っぽすぎると歌唱禁止、新曲「私生活」を歌ったけどこちらも、「♪とめて〜」って相当ハードでした。青江三奈(故人)は例の「伊勢佐木町ブルース」(68年)で、前奏の「ア〜ン、ア〜ン」が女のアエギ声を想像させるという理由でご法度。紅組メンバーがオモチャのラッパをプ〜プ〜吹いて応援したけど、あれで紅組は負けたね(笑)。

 他には任侠モノもマークされました。鶴田浩二(86)は落選理由を「ヤクザ映画に出ているから」とNHKもはっきりとした態度。当然、あの大ヒット「傷だらけの人生」( 70年)は歌われていません。そういえば去年まで47回出場している北島三郎(75)も、極め付きの「兄弟仁義」(65年)を一度も歌いませんねぇ。